あがの焼窯元 庚申窯(こうしんがま)

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陶芸体験のや周辺のニュースをお伝えします。

5/28~6/3の日記

2020.06.04

コウヅルユウタです。

この日記は庚申窯のオンラインショップ

「くろつる屋」のブログを

1週間分まとめたものです。

 

 

5/28 テイカカズラと藤原定家の話1

5/29 動画撮影とカメラマンのキャラクターの話

5/30 テイカカズラと藤原定家の話2

5/31 つばめの卵とよろしくバリケードの話

6/1  テイカカズラと藤原定家の話3

6/2 自分で髪を切ることとシャンプーの話

6/3  テイカカズラと藤原定家の話4

 

今週は半分くらい藤原定の話ですね。

和歌の話のためには、時代背景とか定家のキャラクターとか、あと親近感みたいなものも必要だと思うので、それを一つずつ書いていたら長くなっております。でも今まで漠然としてた考えをまとめる いい機会になってて、私としては楽しんで書けております。まあその漠然としたものがいいんだっていう結論に近づいていくんですけどね。どうなるかわかりませんがもう少しだけ続きます。

 

 

くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。

 

 

テイカカズラと藤原定家の話1

 

5月28日 晴れ

 

本日のBGM Boards of Canada

庚申窯のすぐ裏手はお隣の畑になってまして、元々斜面の土地だから人の住むところや畑ごとに段々になっているのですが、その段差の石垣にはかなり立派な葛が張り付いてて、ただ今白い花を咲かせています。

白い花弁がくるっと丸まって五枚ついてるこの花は 結構香りが強く、花!って感じの匂いがしますね。花屋さんみたいな香り。まあ私の嗅覚だからあてにはできませんよ。

この石垣の高さが私の身長より高いくらいで、記憶のなかでは石垣の上半分くらいまでしか覆われてなかったから、ここ最近でぐんぐん成長しましたね。

この石垣の下には粘土作りの水をほぼ100%まかなっている山からの水路があって、常に水が流れています。

で、最近この水路をまたいでこちらまで根を伸ばし始めてる斥候がおりまして、多分放って置いたらこの水路の表面が覆われて、根だけ水中に下ろして水耕栽培みたいなことになるんじゃないかしら。

というかここ最近で こいつがぐんぐん大きくなったのは この水路に根が届いて水をぐびぐび吸収できるようになったせいなのでは!?

私としてはこういうのは自然のままに放っておきたいところですが、あんまり放置すると石垣が崩れる危険性もあるのでいつかは対処せねばなりません。

 

なかなかアグレッシブでぐいぐいなこの葛の名前はテイカカズラと言うそうです。漢字で書くと定家葛で、名前の元になったのは藤原定家(ふじわらの ていか / さだいえ)のとあるエピソードから。

 

藤原定家は平安時代から鎌倉時代に生きた貴族であり歌人です。その定家が 後白河法皇の三女で、若くして斎院(さいいん:賀茂神社に奉仕する皇女)になった式子内親王(しょくし ないしんのう)との禁じられた恋を密かに育んでいたと言うことが定家の日記から推察されています。

 

そんな二人の死後、内親王を忘れられない定家の思いが葛になり、内親王の墓に絡みついたと言う伝承から、この葛をテイカカズラと呼ぶようになったそうです。まあいずれも噂のような言い伝えではありますが。

 

そんなお話が室町時代の能作者 金春禅竹(こんぱる ぜんちく)によって能の演目になりまして、そのタイトルが「定家」なのですが、古くは「定家葛」というタイトルだったみたいです。

 

「定家」のざっとしたお話は、テイカカズラの巻きついた墓の前を、旅の僧が通りかかると 女が現れて、生きていた時の恋のことと、死んだ後も自分を縛り続ける相手の執念について語り、成仏したいと助けを求めます。

 

この時の藤原定家の執念を表すのに「邪淫の妄執」という強烈な言葉を使っておりまして、人生で一度は使いたい言葉ですね邪婬の妄執。

 

内親王は斎院なので神に使える身ですから、恋のあれこれは本来タブーなんですね。だからそのことも愛欲地獄に堕ちるという これまた強烈な言葉で表現してくれてます。

 

そんで頼まれちゃあしかたねえっつって僧がお経を読んでいくと、だんだん定家の呪縛が弱くなり、ついには自由に動けるようになって内親王は報恩の舞を舞います。

 

その舞は解放の喜びに満ちており、内親王はそのまま成仏する、かと思いきや また墓に戻っていきます。

 

墓にはより一層テイカカズラが巻きつき、内親王は再び愛欲地獄にとらわれて演目は終了します。

 

能についての話もさることながら藤原定家自身もなかなかに反骨精神のあるロック野郎でして長くなりそうなので次に続きます!

 

 

動画撮影とカメラマンのキャラクターの話

 

5月29日 快晴

 

本日のBGM Digitaline

 

今日は映像を撮ることを生業にしている友人が来まして、来ましてというか動画を撮っておくれとお願いしたから来たのですが、それで朝から晩まで撮影をしておりました。

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彼はウェディングの撮影を主に手掛けていたので、コロナウイルスによって仕事が減りに減ってしまい、現在 居候、または車中泊で過ごしているという、男性ならちょいと ときめく状況にいたので、庚申窯の撮影をお願いすることにしました。

 

 

持続化支援補助金〜コロナウイルスver.〜というのがありまして、コロナウイルスによる影響で仕事に支障が出た小規模事業者は、コロナウイルスに対応した新しい事業を始めた場合、かかった費用の3分の2を補助してくれるというものでして、庚申窯は新しくオンラインショップの「くろつる屋」を始めたので、その宣伝のための動画ということで、こちらの補助金を申請しております。だからうまくいけば3分の1の負担で動画が手に入るんですね。

 

 

通常の補助金では、申請をして、審査があり、一ヶ月後くらいにOKかダメか発表されて、それから取り組み開始!となるのですが、コロナウイルスver.では急を要するということで、今年の2月以降に新しく始めた事業であれば対象になるので、今回の動画撮影は前倒しして行なっております。これでもし申請通らなかったら なかなかきついですけどね!その場合は彼に頑張って謝ります。

 

 

庚申窯では 今まで展示会用などで動画を何本か撮ってきたのですが、今回はSNS用ということで ちょっとゆるい感じと言いますか、あえてのゆるゆるなスタイル、今日撮影した感じだと「こんなので補助金出してくれるのかしら」と少し心配になるくらいのゆるめ動画、というか作業を写しながらほぼ雑談しているという内容でして、

 

 

「とりあえず今日は試作ということで帰って映像チェックしてから考える」ということで、どのような方向性の動画になるかは彼の双肩にかかっております。もし雑談が邪魔なようであれば、作業工程に特化した動画になると思います。

 

 

ちなみに今日撮った内容は

・釉薬かけ・粘土の乾かし・粘土の水簸・焼き物の梱包の様子・父の料理・たまたまその時来ていたお客さんの、お子さんの手形と足形をお皿に写す様子・ろくろで小皿作り・小皿の高台削り などです。

 

 

ろくろでお皿を作る様子を撮影してるときに、友人が「勝手に人生相談」と言いだして、彼がその場で思いついた架空の人物の架空の相談に対して、私がお皿を作りながら、なるべく簡潔に身も蓋もない回答をしていくというのをやっておりましたが、20を超えたあたりから後頭部と首の付け根が熱くなってきて、これが知恵熱というやつか!と自分の知恵熱ホットスポットを確認することができました。

 

 

人間の脳は2つの違う作業を同時にやるのが苦手で、それを長くやっちゃうと大変疲れると言いますが、まさに今の私がそうで今日はぐっすり眠れそうです。不眠に悩む方は ろくろでお皿を作りながら架空の人生相談の回答を考えるというのを一度お試しください。

 

 

そんな風にカメラマンの彼は撮影しながらガンガン喋っておりまして、本来彼は撮影だけに専念したいタイプだそうですが、今後のクリエイターという人たちはキャラクターがたぶん一番重要になってくると思うので、カメラマンの存在を意識するくらいでいいんじゃないかしら。

 

 

翻訳家の人自体にファンがついて、その人の翻訳した本だから買うみたいなもんで、依頼されたものを撮るカメラマンでも そのような立ち位置がありになってきたと思います。人間性を前に出して自分自身を好きになってもらうというような。ただそれは撮影の技術を習得するより難しそうですが。どうしても天性のものがありますよね。

 

果たして動画はどのようになるのか!?そのうち お目にかかれれば!

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テイカカズラと藤原定家の話2

 

5月30日 くもり

 

本日のBGM Bill Evans

 

庚申窯の石垣に咲いているテイカカズラの花の匂いは、母によりますとジャスミンの匂いに似ているそうです。ジャスミンとはこんな香りだったんですな。てことはジャスミンの香水などあるのだから、オードトワレ「teika」とかもできるのでしょうか。teika〜死んだ後も束縛される愛欲の香り〜 重いっ!

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能の方の「定家」について。この演目の最後、定家に縛り付けられていた式子内親王(しょくしないしんのう)は、旅の坊さんの読経のおかげで、悟りの世界に行けたはずなのに踊りだけ踊ってまた元の墓に戻ってしまいます。

 

 

これ坊さんからしてみたら「うおい女!このやろう!お前がおれっちを墓までひっぱってきて成仏したいなんぞとぬかしやがるから わざわざ経まであげてやったっつうのに 何を元サヤにおさまってやがんでい!お前ら暇かよこのやろう!」とがなりたててしまいそうですが、

 

 

このラストは欲を捨てきれない人間の業(ごう/カルマ:人間がついついやってしまう行い。だいたい悪い方にとられる)を描いていると言われますし、

 

または定家の呪縛とはいうものの実際のところ まんざらでもない、式子内親王の女性性を表しているとも言われます。

 

 

しかしもう少しだけ掘り下げると

式子内親王は皇族として生まれ、10歳で斎院になり神に仕える生涯を送りましたが、裏を返せば それは生き方を自分で選ぶことの出来なかった人生とも言えます。

 

僧の読経により、定家の呪縛から解放された内親王は、同時に今まで自分を縛り付けていた、血筋のしがらみ神仏のしがらみに気づくことになります。

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恋心を「愛欲地獄」とおとしめて、意思を無くすことを「悟り」といって心地の良い言葉をあてがったのは誰なのか。

 

 

私は生きている間、誰かにとって都合のいい道を選ばされてきたのではないか。この一人の男から解放されたら、次は顔も見えない誰かによって気づかないうちにまた縛られてしまう。死んだ後もなお、私はどこにいたって何かに縛られつづけていくしかない。それなら私は 少なくとも自分に誰が何をしているのか肌で実感できる世界を選びたい。

 

 

という思いがあったのではないでしょうか。これは私が勝手に物語を解釈したものですが、物語は 読み手が自由に解釈することを許してくれます。

 

物語を受け取った人間が、発想を飛躍させ、また新たに物語をつくって次の世代につなげていく、それは物語という空想の世界を息づかせていくのに必要な作業であります。

 

 

文化人類学的には「人間は物語を食べて生きている」と言われていますから、人間にとってもまた物語はなくてはならないものであり、人間が生きている間、様々な物語もまた生き続けていきます。

 

 

金春禅竹(こんぱるぜんちく)の生きた時代が(1405〜1470)、藤原定家が生きた時代が(1162〜1241)ですから150年以上の時差があり、当時すでに藤原定家は物語の中の人物となっています。なので「定家」は藤原定家の人間性に忠実なお話ではなく、金春禅竹の思想が不可分に盛り込まれた作品です。金春禅竹もまた物語を受け取って繋いだ人物ということですね。

 

 

旅の僧が詠む経は法華経であり、それによって救われないという描写は当時考えられないものだったそうです。歌、仏教、神道に通じるインテリであった金春禅竹は、仏教の教えというもの自体もまた物語の一つであり、否定するだけではなく これまでとは違った解釈を試みて「定家」を書き上げたのではないでしょうか。その態度こそが仏教という物語を息づかせるものであると思います。

 

 

次は藤原定家自身の物語について。続きます!

 

 

つばめの卵とよろしくバリケードの話

 

5月31日 晴れ

 

本日のBGM Otis Redding

 

今朝起きたら 靴ぬぎの所にツバメの卵の殻が落ちていて、以前 糞害を軽減するために段ボールを設置するなどしていたツバメ夫婦の卵が孵ったみたいです。

くつぬぎとは反対側の壁にツバメの巣があるので、この卵の殻はツバメ自らこの場所に置いたということになります。ツバメは準備期間中 1日に1つ卵を生むそうですが、卵の孵る日数に差があると、一番若いヒナは成長競争に不利になるので、卵から孵るのは全部同じくらいのタイミングなんだとか。

 

 

だがら卵の殻ももっとたくさんあるはずだけど、このくつぬぎのところと、もう一ヶ所必ずそこを見る というところの2ヶ所以外に卵の殻はなく、どうもその他のはもっと遠くへ捨てているようで、この2つだけを わざわざ人間の目につきやすい所に置くというのは完全にメッセージが含まれていると思います。

 

 

つまりこの卵の殻は住む場所を提供している我々に対して

 

「あ 大家さん どうもいつもお世話になっておりますー この度皆様の御援助の甲斐もあって、どうにか無事に子を授かることができましたので ご報告いたしたいと思っておりました所、ほら、私たちって人語が不得手じゃないですか。口の構造的に。まあ あなた方がもっと鳥語を理解するよう努めるべきなんじゃないの、などとは申しませんが、その代わりこちら つまらないものですが こちらの卵の殻、ね、これ、倅が私の体内で卵黄の時からずっと一緒に過ごしてきた大切な卵の、ね、殻、ね、この卵の殻をお目につきやすい所に置かせていただきますので、聡明な大家さんのことですから この意図を汲んでくださることと思います。今後ともバリケード役よろしくお願い申し上げまーす☆」

 

ということですよね。

 

 

これはなかなかびっくりする行為です。そもそも人家に巣を作って他のプレデター達を寄せ付けないという策をとっているわけですからその時点ですごい。一体いつからそんなことをやるようになったのか。

もし仮にツバメを食べないタイプの熊がいたとして、その熊の家にツバメが巣を作ったとしても、熊に気づかせるような位置に卵の殻を置いたりはしないですよね。たぶん熊は卵の殻から「バリケード役よろしく☆」という意図を読み取れないでしょうから。

 

 

ということはツバメは、人間が卵の殻を見るだけでどういう状況かを理解できる、と いうことを理解しているわけですよね。これは大変に高度なことをやっているのではないでしょうか。

 

 

人間とツバメの歴史がどのくらい古いのかは知りませんが、生物がとある行為を本能レベルまで刷り込まれるには5万年から20万年くらいかかるみたいです。しかし人間とツバメがそんなに古くから一緒にいたとは考えにくいです。

 

 

ということはツバメのこの行為は全て「学習」のレベルでやっているということでしょうか。そうだとしたらかなり知能が高いような。でももしかしたら たまたまそういう形質の濃いものだけ生き残った的なやつで説明されてしまうのかしら。

 

 

とにかくわかっていることは「ツバメはあざとい」ということですね。こいつらも言っちゃえばパラサイトみたいなもんですから、普通にやってたら我々人間に排除されるから「かわいげ」でもって生存競争を有利に進めているわけで、そのあざとさの最たる例がこの卵の殻の付け届けになるのではないでしょうか。

 

 

まあ私はあざといのは大歓迎ですから別にいいんですけど、その割には近寄ったら全力で逃げるし、カメラを向けても全力で逃げるし、外から帰ってくる時も私の姿を認めた途端に宙返りして全力で逃げていくし、私は私で「燕返し見事なり」などとのたまうし、ツバメさんその辺もうちょっと あざとくやってくれてもいいんじゃないのかい、と ツバメに肩とかに止まられて、周りから仙人っぽく思われたい私でした。

 

 

テイカカズラと藤原定家の話3

 

6月1日 くもりときどき雨

 

本日のBGM The Voices Of East Harlem

 

 

藤原定家(ふじわらの ていか)はなんと言っても「小倉百人一首」を選んだ人ということで有名でして、もう現代では百人一首というと小倉百人一首を指しますし、競技かるたの世界を描いた漫画「ちはやふる」によって若い子達にも浸透しており、百人一首は「時代を超えて愛される」というのを地で行っているすごいやつです。

 

 

百人一首というと学校で習った記憶がある方や、中にはスラスラ言える方もいることと思いますが、私も中学、高校の一年生の時に、国語教官によって授業時間外で百人一首の暗記を強制され、覚えたかどうかを放課後 教官の目の前でそらんじて百首コンプリートを目指さなければならない、という新入生への洗礼を経験しましたが、

 

当時の私は記憶量というものには限界があると思っていまして、何かを覚えた分 何かを忘れると信じていたので、

 

「こんなものを覚えるのは無駄である。テストには出ないし、カルタの試合で負けても微塵も悔しくないし、人生で百人一首を覚えておいて得をすることなど この現代社会であろうはずがない!そもそも他の皆が暗記してるなら私は覚えなくていいじゃないか!貴様ら国語教官の慰みものになるものか!キエエ!」と断じて、結局一首も覚えないまま言い訳やスルーする技能だけを身につけて、正直その技能が役立つことは かなり多かったような気もしますが、

 

そんな私も生育過程で「和歌が最速の芸術」という概念に出会いまして、すぐには理解できませんでしたが、そのことが府に落ちた時から和歌に対する評価が一変し、現在ではかなりすごいものだと思っております。

 

 

ひょっとすると これまでの種々様々な芸術は、未だにこの領域を更新できていないんじゃないのかしら、というくらいに「和歌すげー」と思っているのですが、いるのですが、未だに覚えている和歌が一つもありません。

「ちはやふる」も読んでいましたが、私は漫画内で扱われる和歌を、物語を盛り上げるための記号として捉えて、歌自体はスルーするという技能も身につけているみたいで、「そもそも何言ってるかピンと来ねーんだよ!」などと一人ごねております。

 

 

かように個別の和歌には さほど興味はなくても、和歌全体のことに関してはとても関心があるので、その和歌の概念については 次か その次くらいで触れたいということで、今回は百人一首について。

 

 

百人一首ができた発端は、お偉いさんから「こないだ嵯峨に別荘建てたからさー 定家ちゃんのセンスで100首選んじゃってよ フスマ飾る用に いい感じのやつ。頼んだよ。ね。てわけで よろしくどうぞー 」と言われて選んだものになります。それぞれ違う歌人から一首ずつ選んだもので、現代で言えばコンピレーションアルバムですね。

 

 

この小倉百人一首、最初はマイナーであまり知られてなかったんですけど、200年くらい経ってから宗祇(そうぎ)という連歌師に紹介されたことで貴族の間でプチブレイク、

 

 

その後 江戸時代に入ってから茶人達の間で、藤原定家の下手だとされてた字が「ん〜逆に?逆にいいよね?逆に」と すごい人気になり、マネしやすかった事もあって、定家の字が江戸の町でスマッシュヒット、定家流なんて流派までできる始末でした。こちらがその字↓

その書体で百人一首の歌を書いた色紙を茶室に飾るというのが これまた大流行しまして、そんで印刷技術の向上で「歌がるた」が商品化され、一般の人々の間でもメガヒットを飛ばして国民的遊戯となり、それ以来百人一首は現在まで続くロングセラーになっているという次第であります。

 

 

しかし百人一首はなんでまた そんなに人気が続いたのか。

 

百人一首の選定を頼んだお偉いさんは蓮生(れんしょう)という坊さんで、彼は政略争いに負けて僧侶になった人ですが、「二河白道図(にがびゃくどうず)」という現世と極楽を一枚の絵で描いた構図を、嵯峨の山荘の建築で再現しようとしてたようで、これは当時の浄土教の人が屋敷建てるときによくやるらしいんですが、

 

その現世パートのフスマを飾るのに発注されたのが、この小倉百人一首になるそうで、100人の歌人たちは現世の人々を表しているんだとか。

 

 

現世というのは喜びもありますが同時に苦しみもある所で、百人一首に選ばれた100人は幸福で華やかな人たちだけではなくて、宮廷から追われた人とか、讃岐に流されて怨霊になった人とか、人殺しとか、そんな不幸な人生を送った人が100人中47人いて、いい面ばかりではなく人間の負の面も合わせて、人間まるごとを描き出しているところが、これだけ長く人々に受け入れられている理由の一つではないかと言われています。自分の選んだコンピレーションアルバムが ここまで残るとはDJ☆TEIKAも鼻高々ですね。

 

藤原定家の話はその4に続きます。

 

 

 

自分で髪を切ることとシャンプーの話

 

6月2日 快晴

 

本日のBGM Ken Peplowski Quartet

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髪が伸びたので今日は散髪を。

 

髪はいつも自分で切っていまして、て言うのも幼少期は母親によって切られていたのですが、普通はその後、成長過程のどこかで床屋さんに赴いて、「ちょいといい男にしてくんねい」などと床屋の親父に注文して、それを月に1度か2度のペースで繰り返すという生活にシフトするものだと思いますが、

 

私は持って生まれた人見知りの性格に加えて 小学生の頃は今よりも自意識過剰だったため、初めて会う他人に どのような頭頂の形を希望しているかオーダーを出し、軽妙なトークで間を繋ぎながら髪の毛を切ってもらうという難易度の高いことは到底できませんで、

 

しょうがないからってんで試しに自分で切ってみたら「あれ 思ったよりできますやんけ」と なり、それ以来 自分の髪は自分で切るようになりました。

 

 

つまり私は「ヘアーサロン俺」の専属理容師 兼 客という形態で もう二十年近く営業してきたことになりますので、自分の頭に関して言えば もはやベテランの域に達しており、さらに現在の出不精も加わって、床屋さんに行くことがまあーなくなり、現在では髪が伸びたと思ったら天気の良い日を狙って散髪しています。

 

 

なんで天気の良い日かというと、ヘアーサロン俺 の客はサービスの関係上必ず裸にならねばならず、お客様に快適に過ごしていただくため気温には特に気を使っているからです。裸の必然性は理容師の双腕と、お客様の頭との位置関係上、あのてるてる坊主みたいな襟巻きを身に付けることが出来ないためであります。

 

 

またヘアーサロン俺でのヘアカラーは「真っ黒白髪染めコース」だけでございまして、このお客様は学生の頃から白髪があり、個別撃破するには数が多すぎるけど、いい感じのグレイヘアーには少なすぎるという具合で、自然のままにしておいたら普通に老けて見えるので、学生の頃よりずっと白髪染めをしております。

 

 

髪の毛が長いと白髪染め作業がめっちゃめんどいので、短めにして、伸びてもしばらく大丈夫なバランスで、整髪料を使わない前提、となるとおおよそ形が限定されて、いつもの髪型になります。まあこの髪型以外切れないんですけどね。

 

 

整髪料を使わない理由は、「なるべくシャンプーをせずに生きていく」ということを心に誓っているためでして、なんでまた そんなトンチキで はた迷惑な誓いを立ててしまったのか、そんなこと言ってるとそのうちハゲるぞ、と お思いになるかもしれませんが、皆さんは世の薄毛の男性がよもやシャンプーをしていないとは思わないですよね。というか多分 一番シャンプーに気を使っているのは彼らですよね。

 

 

てことはですよ、シャンプーをしたからといってハゲる人はハゲるわけで、「いやシャンプーをしてきたからこの程度で済んでいるのだ」という主張もあるでしょうが、「その人がシャンプーをしてこなかったら どうなっていたのか」は未検証なのだから断言は出来ませんよね。

 

 

それにそういうのって、もしシャンプーに意味がないと認めてしまったら、これまでシャンプーに費やした時間や金銭や上腕二頭筋の労力などが全て無駄であったことになってしまうから引くに引けないみたいな。

 

 

まるで課金しまくってきたアプリのゲームに「あれ 俺なんでこんなのにハマっちゃってたんだろう」と一瞬思うものの、もしこのゲームを続けることに意味がないなどと認めてしまったら、このゲームに費やしてきた時間や金銭や母指球筋群の労力などが全て無駄であったことになるからさらに課金を続ける、というのと同じなのではないでしょうか。

 

 

もしケアをし続けた結果、ハゲたとしたら、悲しくて悲しくてとてもやり切れなくなってしまいそうですが、

 

もしシャンプーなどのケアをサボりにサボりまくった結果、ハゲたのだとしたら「まあしょうがないよね、だってシャンプーしなかったもん」と諦めがつきやすいのではないでしょうか。

 

 

そんなわけで私はあんまりシャンプーをしない生活を送っていますが、それは私があまり人と合わない生活だから許されているというのが大きいと思います。

 

もし仕事の同僚が頭くさかったら腹立ちますもんね。でも私はもともと油の分泌が少ない体質なので、シャンプーをしないというカミングアウトをすると確実に頭を匂う流れになりますが、その時に特別臭いと言われたことは多分ないと思いますので大丈夫です。まあ自分に不都合な記憶などは あっても邪魔なだけですからね。記憶は思わぬ形に修正されておるかもしれません。

 

 

あと私の行動も ひとつのサンプルになると思っておりまして、10年後に私の頭部環境がどうなっているかでシャンプーの必要性が判明しますよね。私は比較実験に身を捧げるためにシャンプーをしないのです。決してめんどくさいからではないのです。決して。ただシャンプーは面倒かと聞かれれば肯定するのに吝かではありません。めんどいっす!さあ10年後は果たして!?

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テイカカズラと藤原定家の話4

 

6月3日 くもり

 

本日のBGM Nino Tempo & April Stevens

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藤原定家(ふじわらのていか)の人となりは19歳から75歳まで書き続けた日記、「明月記」からうかがい知ることができます。

 

 

藤原定家は生きていた時から和歌の実力を認められていましたが、死んだ後さらに評価が高くなり、中世では芸術の神様のように崇めたてられていました。

 

 

しかし明月記の内容はというと、ほとんどのページで、「体調が悪い」「全然ご飯食べれない」「もうすぐ死ぬと思う。。」といった体調不良のアピールという、初期老人がよくやるやつを20代の頃からずっと言っていたり、

 

常に体調が悪いもんだから しょっちゅう祈祷(きとう:おがむこと。当時 病はお祈りで治そうとしてた。)をしてて、これがまたけっこうお金かかるらしくて、そのためいつも「お金がなくて今月やばい」「なんでこんなに貧乏なんだ」「お金をどうにか工面せねば」とか、

 

「出世したーい」「もうすぐ出世しそう!」「やっぱりダメだった。。」と けっこう出世欲むきだしで、政治にもすごく関わりたがっていたり(結局最後まで要職にはつけませんでしたが)、

 

「全然いい歌がでてこない」「もうだめだ」「やっぱりもうすぐ死ぬと思う。。」などと大変に人間味のある内容、というか かまってちゃん的な嘆き節満載で、心の蛇口だだ漏れって感じなのが明月記です。

 

 

もちろん資料価値の高い当時の記録も数多く記されています。なんてったって国宝だもの。

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そんな嘆き節も悲壮感があるというよりは、客観的に自分のことを捉え直しているような感じで、大変だ大変だ、と言いつつ結構のんびりした他人事のような空気があって、

 

それというのも定家の価値観のベースはやはり和歌であって、それ以外のことは半分くらい どうでもよかったんじゃないかしら。

 

 

出世がしたいと日記に書く割には、他の貴族と和歌のことで何度も揉めて出世が遠のいたりしてるし、

 

定家があまり評価されなかった時代に、自分を拾い上げてくれた後鳥羽上皇(ごとば じょうこう)とも歌のことで何度も衝突してて、

 

上皇主催の歌会の席では、上皇を非難した内容を練り込んだ歌を発表して、「お前なんかと2度と会うもんか!」と上皇を大変に怒らせて謹慎させられて、そのことで出世がさらに遠のいたりと、歌に関してはまったく融通が効かない頑固なところがあったようです。

 

 

ところで この時代の貴族というのは みんなバイリンガルだったそうで、この明月記も漢文で書かれたものでした。漢字や、中国の故事なんかを どれだけ知っているのかが教養であった時代で、和歌の中にも そのイメージはふんだんに盛り込まれているから、その前提知識があるのとないのとでは和歌の理解度がまるで変わってきます。

 

 

言葉が違うと、文法やリズム、言葉が育まれた民族の価値観などに引っ張られて、しゃべる人間の考え方も変わるといいますから、この明月記は定家にとっては一つの気分転換であったのかもしれません。

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普段は日本語を練りに練って和歌を作っているわけですから、もし日記でも日本語を扱ってたら必要以上に練ってしまって、書くのがしんどくなっていたのではないでしょうか。

 

 

漢文で、心の声だだ漏れみたいな明月記は、もしかしたらセルフセラピーの役割を果たしてて、歌作りとのバランスをとっていたのかもしれません。絵描きが絵を描くのに疲れたら息抜きで落書きするみたいな。

 

 

たぶん創作をする人は、創作物に対して真摯であるほど、それに取り組む前にせんでもいい掃除をしたりとか、緊急性のない用事をわざわざ見つけてやったり、あるいはゲームやタバコやお菓子なんかで弛緩したりして、自分の中でテンションを作ってものづくりに取り組むのではないかと思いますが、その役割をこの明月記は果たしていたんじゃないかと思います。

 

 

別の思考方法で物事を考えたり、なにか別の作業をしなければならない状態でいることで、本業から適度に力を抜くことができ、その結果バランスが良くなって長く創作を続けることができるのではないでしょうか。あまり一つに集中しちゃうと疲れちゃいますもんね。

 

藤原定家まだ続きます。

おれ

高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目

 

 

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