あがの焼窯元 庚申窯(こうしんがま)

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陶芸体験のや周辺のニュースをお伝えします。

5/21~27の日記

2020.05.28

コウヅルユウタです。

この日記は庚申窯のオンラインショップ

「くろつる屋」のブログを

1週間分まとめたものです。

 

 

5/21 花粉症と選民意識の話

5/22 死んだ人間と記憶の話

5/23 カチカチ粘土とシン朝鮮唐津の話

5/24 陶芸家の職業病と腰痛の話

5/25 ボウフラ退治とやっぱり油好きの話

5/26 髭とあざとい男子の話1

5/27 髭とあざとい男子の話2

 

ブログを書き始めて今回分で6週間ですか。くろつる屋がスタートしてから気づいたことは、焼き物作りかパソコン作業か、どっちかをめんどくさいなーと思ったときに、残る一方を免罪符的に頑張るので意外と作業効率が良いということです。

 

やりたくないという時の逃げ道として、部屋の掃除をするとか、時間のかかる料理をするとか、ゲームをやってしまうとかいうのは、多分物づくりをされてる方にとってはあるあるなことで、作るものへのプレッシャーが大きい時ほどこの一時的現実逃避が発生するみたいです。

 

その例に漏れず私もこれに大変な時間を費やしてきましたが、やらなければならないことが2つあると、片方から目を逸らすと目の前にもう片方があって、それをやるよりしょうがなくなるという感じで、でも苦痛ではなくて、むしろ精神衛生的にはかなりいいです。

 

てことはその集中状態に入るための儀式a.k.aルーティーンは、別に オンラインゲームを朝までやり込むとか、一回読んだ漫画を最初から読み返すとか、お菓子を必要カロリー以上に取り込むとか、やたらとタバコを吸うとか、キャバクラに逃げ込むとか、不倫相手に会うとか、そういう娯楽でなくてもいいということみたいで、つまりそれらご褒美があるから頑張るのではなくて、目をそらす何かでさえあれば、それは別の労働でも十分に機能を果たすっぽいぞ、ということに気づいた6週目でした。

 

だから掃除とかをする人たちは罪悪感をなるべく軽減するタイプの現実逃避のやり方で、ゲームをやる人たちは罪悪感を溜めることで物づくりへのテンションを作っていくのだと思います。

 

ちなみに私は漫画が主な現実逃避先ですね。

 

 

 

くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。

 

↓今回なぜか改行が潰れてるみたいで、めちゃくちゃ読みにくくなっていますね!

くろつる屋↑のサイトの方が断然読みやすいのでそちらの方がいいかもしれません。

次から気をつけます。

 

 

花粉症と選民意識の話

5月21日 晴れ

本日のBGM 中原めいこ

以前 芥子菜(からしな)をくれた近所のおじさんが、このグリーンピースもくれてたみたいで、そういえば祖母が豆むきをしておったなと思い出しましたが、その時に豆ご飯の炊き方というのを教えてくれて、炊飯器で豆ご飯を炊く時に、水ではなくてお湯を入れてご飯を炊くと、豆が黄ばまず緑色で美味しそうに出来上がる、ということで出来たのがこちらの↓豆ご飯です。

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豆が黄ばむというのに 最初ピンときてませんでしたが、よくよく思い返してみれば 確かに いつもの豆ご飯の豆はこの↑色よりもずっと黄ばんでて、なんかこう色素が抜けたために 味の方も抜けてそうな印象があって ちょっと食欲をそそられない感じでした。

こちらは食べてみたらお湯で炊いたせいなのか 採れたて産地直送のためなのかは わかりませんが、味が良く、おいしかったです。やっぱり緑色の発色がいいと爽やかで見た目にいいですね。

ところで花粉の時期ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか?え、花粉は終わった?いやそんなはずは、だって私は目が痒くて、掻いてはいけないと思いつつ、その抑圧がさらなる快感への呼び水になって、高まった快楽への期待値が理性の砦を飛び越えた時 指先でグニグニと目頭を掻いていますし、くしゃみだってポンポコかましてますよ。

てことで今の時期の花粉症は何花粉の仕業なのか判別するために、鼻アレルギー診断ガイドライン2016から引用した図が載っていた、アレジオンのサイトから引用した画像がこちらです。

スクリーンショット 2020-05-22 1.27.24

これを見ると5月はハンノキというのとスギとヒノキとイネがあるみたいですね。スギ花粉はもう終わってるだろうと思っての導入部分の小芝居だったのに、スギ花粉は5月もバッチリあるのか。ていうかスギ長くねえ?夏以外ほぼですがな。これはスギ花粉の方辛いですね。

私は多分スギ花粉ではないと思います。というのも庚申窯の裏手にはスギが植林された山があるので もしスギ花粉だったらもっとどえらいことになっているだろうし、2~3月のスギ花粉レッドゾーンでは全然平気ですので。

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こちらが↑庚申窯の裏手の杉山です。この杉山は祖父から聞いた話だと昔はもっと山が小さかったそうで、山全体に植えられたスギが全部大きくなって山がデカくなったように見えるそうです。てことは自然に見えるこの景色も人の手が加えられたものなんですね。

スギでないとなると残る候補は3つですが、上↑の写真の右手が、お隣の作っている田んぼなので、イネだとしたら やっぱりもっと酷い気がします。私の花粉症は今のところまだ軽く、時折猛烈に目が痒くなったり、ふとした時にくしゃみが連続で出たりするだけなのと、大体5月以降は落ち着いているからです。

ではハンノキかヒノキか、ハンノキがどんなやつなのか わからなかったので画像検索してみたら この木も確かあるなーという感じで、ヒノキもあるので まあどちらかなんでしょうね。

私は3〜4年前に花粉症として覚醒したので、花粉症に対する知識が乏しく、有効な対策も取れていないのですが、後天的に花粉症に目覚めた人たちというのは少なからずそういうところがあって、というのも花粉症であることを認めたがらないから薬を飲んだりしないんですね。

もと非花粉症の私から正直に告白しますと、非花粉症の民は花粉症の人たちをバカにしております。間違いございません。赤目ぎんぎん鼻水ずびずびの花粉症患者を見て、「辛そう。。」などと同情を禁じ得ないといったトーンで語られる言葉とは裏腹に、心の中では「あー私 花粉症じゃなくて良かった。つらそー☆」という優越感でいっぱいです。

花粉症の人の前では おくびにも出しませんが、非花粉症同士で集まると必ず花粉症患者を見下すジョークを飛ばして笑いあい、「我々は生き物として優れている」といった選民意識を持つに至ります。

そのようにして優越感に浸っていた人間が、ある日突然 生き物として下等な花粉症持ちになるのだから、発症1年目は まあー花粉症だとは認めません。「いや、私もともと鼻炎持ちだから」「いや、最近粘膜が敏感になってるだけだから」「いや、古びたツボを見つけた時に備えて くしゃみの練習をしているだけでごじゃるから」 と 断固として花粉症を認めません。

自分の優位であったアイデンティティーの1つが突然崩壊したのだから無理からぬ話です。私はこれを「花粉症イヤイヤ期」と呼んでいるのですが、特に長いこと非花粉症で過ごした人ほどイヤイヤ期が長引く傾向があります。

そんな私はイヤイヤ期を脱して、花粉症だと積極的に認めることでイヤイヤ期との差別化を図る一方、「これは自然な体のメカニズムなんだからさ、薬で押さえ込むなんてのは不自然なことだよ」という「薬に頼らなくて平気な俺アピール期」にいます。

成人後の自意識というのは このような時期を経てからでないと、素直に花粉症を認めて 薬を飲んで楽になる ということもできない、かくもめんどくさいものなのです。

これと似たようなパターンで 「老眼なりたて〜メガネを買うの?買わないの?〜」や「もみじマーク〜そろそろ車に貼るの?貼らないの?〜」や「白髪が増えた〜抜くの?染めるの?〜」などがあります。

いずれのイベントでも、一悶着を起こす輩というのは、それらの要素に対して 主に若さという武器で 優位を感じることによって今日まで生きてきましたので、あまり無下に扱わず、暖かい対応をしてあげて欲しいと思います。私の次なるステージは体臭ですね。素直に認められるかな〜?

 

 

死んだ人間と記憶の話

5月22日 晴れ

本日のBGM Billy Vaughn

人は2度死ぬ、1度目は体が死んだ時、2度目は誰からも忘れられた時、というのは有名な言葉ですが、似たような言葉で、人はフィルムに撮られると死ななくなる、というのも何処かで読んだような気がします。

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今日福岡県で再放送された番組に庚申窯が出て、その中でまだ生きていた時の祖父が登場して、知っている方からは懐かしんでいただけたようですが、映像の中の元気な様子を見ていると 生きていた時の仕草や声など思い起こされて、ぼやけていた記憶の中の像が またはっきりと映し出されます。

故人の映像を見返すと、記憶の中の姿も そのたびに書き留められるし、それをきっかけに眠っていた記憶も呼び覚まされるから忘却という死がなくなるのでしょう。

また生前に会ったことがない人でも、生きている時の映像を見ると自分の中に実在の人として息づくから、映像に残っていると死なない、ということになるのだと思います。

そういう意味では現在の人たちはほとんど死ななくなっているのではないかしら。特にオンラインの世界に映像があれば、全てのサーバーが壊れない限りずっと映像が残り続けて、世代が変わっても再発見されて生き返ったりすることができそうですよね。

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考えてみれば私が作業中によく聞く落語家なども全員死んでいるし、本日のBGMで紹介した人たちも半分くらい死んだ人たちで、そうすると私はいつも死んだ人間の声ばかり聞いてますが、その時は死んだことなど忘れてて、生きている人と同じように、その人たちは心の中で像を結んでいます。

歌声からは感情をもらって、言葉からはいろいろなことを学べますので、そうなってくると生きている人からの影響と、死んだ人からの影響というのは あまり差がないように思えます。十分に映像が残っている場合ですけどね。死後も作品が誰かに届いて、波及していくというのは作り手にとってはとても嬉しいことかもしれませんね。

なので祖父の作った品物も 生前と変わらず売っていて、もうだいぶ少なくなりましたが、なるべく庚申窯で保存しておこうとかはあまり考えていません。

というのも 器は資料として残し続けるより 誰かの役に立って割れていく方が正しい在り方だと思いますし、誰かが受け取ることで記憶が繋がれて、それが作り手を尊重する態度になると思うからです。

それといくらこの先 映像が残っていくとしても、それにもやはり寿命があると思います。例えば戦前の映画を好んで見る高校生は稀だと思いますし、器の形だって30年前くらいでもかなり今とは違っています。

だから祖父の作ったものもアップデートされなければ いずれ時代に合わなくなり、実用性がなくなって資料としての機能しかなくなると思うので、その前に器として用いられた方がいいと思います。

あの世や魂の世界というのは 人間がまだ解明できていない不思議なところ、とかではなくて、たぶんそれらは生きている人間の中に存在しているものだと 私は思います。

生きている人間という物質がなければ 形のない世界は存在できなくて、生きて思いや記憶をつなげていくことで、死んだ人間に寄り添うことができるのだと思います。

ところで死んだ人間は大体好感度が上がって、生前よりもいい人にされてしまいますが そんなに聖人君子だったかしら?嫌なところも笑って伝えておくこともまた死者への尊重になると思います。

 

 

 

カチカチ粘土とシン朝鮮唐津の話

5月23日 晴れ

本日のBGM Robert Lockwood Jr.

取り込むのを忘れてた粘土がカチカチになってました。

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粘土は取り込む段階では、半分液体みたいな ゆるめの結合のぐらいの状態が良くて、それを日陰に移して水分を飛ばすのがベストなのですが、最近の好天と乾燥とで 思ったより乾きが早かったみたいですね。

まあこの手の失敗を私が今までにしてないはずがありませんので、対処法はバッチリです。まず乾き具合が酷くなかったものは、これ以上乾く前にすぐさま文明の利器「土練機(どれんき)」↓にかけます。

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この↓四角のまま乾いてしまうと、端の方がかたく、真ん中が柔らかくなってしまうので、それを土練機にかけてパワープレイで混ぜたろうって作戦なのですが、これに使う土練機↑が かなり古いタイプなので、たぶんきれいには混ざってくれず、粘土の中にかたい異物a.k.aコロンコロンができてしまい すごく作りにくくなります。

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まあでもそれは使う時にコロンコロンありそうだったら また土練機にかけるということでとりあえず解決!今直面していない問題は一旦 先送りにしましょう。未来の自分に期待!

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次にこのカチカチに固くなった粘土は、土練機にかけるとスクリューに噛み込んでモーターがいかれちゃうので、このままでは使えません。ですがカチカチ粘土でも水分が戻ると土練機にかけられるくらい柔らかくなるので、軽く絞ったタオルをカチカチ粘土に巻いて、じわじわと水分を浸透させるために人類の叡智ビニールの中に入れて1日くらいおいときます。

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次の日に触ってもまだかたければ、またタオルに水を含ませてから粘土に巻きつけて、また1日おいておきます。後は柔らかくなるまで繰り返すだけ。解決!ちなみにこのタオルは3日以上 連続で使うと繊維が分解され始めてボロボロになっていくので、2日ごとに変えた方が良いです。

お次は おとといくらいに還元で焼いた窯から器を取り出しました。

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これは鍋用の器で、注文主が黒の艶消しの釉薬が好きなので、その釉薬を外側にかけて、内側はわら白釉をかけて焼いたものですが、出来上がったみたら なかなかいい色になっていて、この2つはアリな組み合わせなんじゃないでしょうか。

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黒釉ベースに上だけ白をかけるという釉薬の組み合わせは「朝鮮唐津(ちょうせんがらつ)」と言って、あがの焼でも作られてきた伝統的なスタイルの器になります。朝鮮唐津、いつか作りたいなと思っていたけど、もうこれでいいんじゃないかな。この色はいろいろと使えそうです。

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あと今回良かったのは「岩漿(がんしょう)」というお皿↓で、マグマという意味なんですが、冷えかけの溶岩っぽい感じの釉薬で、還元焼成したら渋々な仕上がりでした。

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まあ全然お皿っぽくないですけど、今後はニッチな需要にも先回りして創作していかないとね、もうそれ大事なやつですから、ニッチ、大事、そうニッチ、サッチ、落合の嫁あわわわわ。

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このお皿もいつかどこかで使ってもらえると思いたいですが、今回の窯でのメインは上の2つではなく別の釉薬の器で、それをきちんと焼き上げるための窯だったのですが、そういう焼きなれたものと同時に、何かしら新しいものの実験もして焼いています。

生まれ持った性分もあると思いますが、新しいものを試していると結果を楽しみにワクワクすることができます。しかも実験だから どれだけ失敗してもいいので気楽です。同じものばかり作ってるといつの間にかモチベーションってやつは下がってしまうみたいですからね。気楽なものもおりまぜてやっていきましょう。

 

 

陶芸家の職業病と腰痛の話

5月24日 晴れ

本日のBGM The Style Council (Tracy Thorn vocal) 

今日は父の代行で陶芸体験を担当していました。

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人に物事を教えるのは一番の学習方法だと言いますが、陶芸でもそんな感じのところがありまして、普段自分では無意識でやっていることも、ひとに言葉で説明しようとすれば、それらがどのような仕組みで動いているのか客観的に捉え直す事ができ、違う角度から物事の本質に迫る事ができると思います。

だからもし陶芸教室をやるんだったら、やる気のある人を2~3人 教える側に回して、自分は何もせずにペロペロっとそれっぽいこと言ってれば、お客さんがお客さんを教えてくれて、後は教える人と教えられる人が その人の技術のステージに応じて自主的に教えあってくれれば、マルチ商法みたいに自分はシンボルだけやってればいいので楽なんじゃないかなと思いました。

まあ庚申窯ではそんな感じの月謝制の陶芸教室はしておりませんで、予約した1組ごとの単発的な陶芸体験をやっております。その担当は主に父なのですが、その父がどうも腰をやっちまったみたいで今日は私が代理をいたしました。

陶芸家にはいくつか職業病があって、「お店で食事をした際にお皿の裏側を見ずにはいられない病」や「地層が見えてると土を確かめずにはいられない病」などがあるのですが、そのうちの一つが「腰痛」になります。

腰痛は陶芸家だけでなく伝統工芸従事者にめちゃくちゃ多いんですが、ほとんどの伝統工芸というのは「 座ったままで手元で作業を長時間♪」というのがお決まりになってますので、腰を悪くしやすいんですね。

腰というのは体の要(かなめ)と書きますように、体を動かす上で大変重要なところ。なので腰をやっちまうと もうどうしようもありません。これは野生動物だったらすぐ死ぬやつです。しかし腰痛というのは人類が立ち上がってしまったからできてしまった病気なので彼らはそもそも腰痛にならない。てことは腰痛は人類病と言ってもいいかもしれませんね。

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人間が立ち上がりさえしなければ腰を痛くすることもなかったのに。しかし立ち上がらねば伝統工芸は全て存在しなかったのでいやはやなんともかんとも。生きるための仕事で腰が悪くなるのは もうしょうがないということで、この腰をなるべく労ってうまく付き合っていかねばなりません。

もの作りには肉体も大事ですが精神も大事です。しかし私は、精神というのは肉体の落とす影のようなものだと思っていますので、体が良くないと いいコンディションで何かを作ることはできません。

まあこの精神と肉体によるパフォーマンスは ひねくれてるところもあるので、体がボロボロで精神が発狂しそうな時にどえらいもんを作り出してしまうこともあるのですが、そんなもんが長続きするわけもないので、やはり体が健康に越したことはありません。

そんな大切な体の要である腰は最重要器官でして、私も去年くらいにやられてそれ以来腰には気を付けているのですが、整体の先生に聞いたところ腰を健康に保つには、いい姿勢を心がけて腹筋背筋と太ももを鍛えて、しっかりストレッチや休息をするという、何一つ面白みのない対策を授けていただきました。

結局のところ運動すれば解決するということなのですが、私は世間と経済事情が許すならば毎日だらだらと寝ていたいタイプで、運動というのは本来苦痛なものだと思ってますから、

運動すると細胞が酸化して老けるとか、膝関節を痛めてしまうとか、日光を浴びるとさらに老けるとか、なるべく運動をしないための理論武装をしておりましたが、腰が痛いとほんと もうどうしようもないので渋々考えを改めております。

ということで私の腰対策としては、夜中に庭で体操した後、マットを引いてストレッチするっていうのと、 あ、まあ、そのくらいですね。後はやるといいんだろうなーと思っているだけでやっていないというやつです。ええ、私は大体そのパターンです。

やるといいであろう筋トレを できないことの大きな原因は、休日を制定し忘れたという事があります。休日が明確にあると その日は仕事を一切せず体を動かそうとかなるかもしれませんが、割と毎日働いてしまってるので 腹筋やら背筋やらをやる気分になれないのです。もうエネルギーは全部使っちゃってる感じ。

そして筋肉が衰えていくからさらにエネルギーの総量は減少して、さらに運動に回すエネルギーは減るというデフレスパイラルみたいなことになっております。

だからそれはいかん!と今年の頭に思い立ち、福智町にある1時間100円という大変コストパフォーマンスの良いジムに行こうと決めた矢先、コロナウイルスによる騒動でそのジムは病院併設ということもあって閉められてしまい、「やっとこさ運動する気になったのにお前(ジム)がさせねーのかよ!なんだよもう!」とふてくされて今に至ります。

ただ夜中のストレッチだけでもかなり改善されたので、私と同じく運動嫌いな方はストレッチだけでもいいのかもしれません。まあでも私は成人男性の平均よりは体が柔らかい方なのでストレッチとか瞑想しながら楽にやれるので、体がかたい人はあまり向いてないかもですね。そんな人は金で解決してください。

 

 

ボウフラ退治とやっぱり油好きの話

5月25日 くもりのち雨

本日のBGM Madison McFerrin

こちら↓以前登場した、白い大鉢に苔石と水が入っているやつなのですが、日陰具合がちょうどいいみたいで、じわじわと苔が成長して いい感じなのですが、器が白いもんだから大量のボウフラが丸見えで大変気持ちが悪いです。(写真ではボウフラをぼかして見えにくくしております。)

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ボウフラは水をきれいにしてくれるそうですが、成長すると蚊になる奴らなので、環境には優しくても我々にはとっても厳しい。私はそんな吸血予備軍たちを野放しにしておけるような おアニいさんとは おアニいさんの出来がすこおしばかり違うんでい!覚悟しあがれい!って事で、一度やってみたかった油でのボウフラ駆除というものを試してみました。

庚申窯にはこんな水たまりの数が百を超えていますので、ここのボウフラを虐殺したところでモスキート被害が減るわけではないのですが、自分で ためている水で蚊を育てちゃってるというのはちょっとねえ?っていうのと、単に油を注いだら どういったことになるのか見たかっただけです。知識は実践を通じて育まれますからね。

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食堂の台所したにあった、揚げ物に使った油の中でも一番色の黒いやつを持ち出して、水面にたらしてみました。思ってたよりも油のつぶつぶがきれいで、そのつぶつぶの動きを見ると緩やかに左回転していて水の流れも視認する事ができ、木漏れ日の反射もあってなかなか美しい景色でした。

油は水よりも軽いので、水面にはこのように油の膜ができるのですが、その膜のせいでボウフラはうまく呼吸をする事ができず 窒息死してしまいます。木漏れ日を受けてキラキラ光る水面の下では 呼吸を奪われたボウフラたちの酸素を求めて動き回る地獄絵図が展開されていたというわけですね。遠くから見るとなんでもきれいに見えます。

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これでボウフラが全滅したら次は何が住み着くのかしら、おや、ハエが水面に止まったと思ったら油が体にまとわりついて沈んでいくぞ、ここは虫たちにとってなんて優しくない世界なのかしら、などと考えていたら庚申窯に住み着いている野良猫がやってきて水面に浮いた油をペロペロと舐めはじめました。

ほとんど水なんだから ちょろっと舐めるだけなのかと思ったら、一心不乱とはかくありきと言った熱心さで油を舐め続けておりました。やはりこの猫たちは油が好きなようです。

その様子を見て別の猫もやってきて、駆けつけペロペロという事で席を並べて舐め倒しておりました。

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彼らの中の一体何がそれほど油への情熱を掻き立てるのか。2匹で水位が下がるくらいまで飲んでたので、さすがに飲み過ぎで体調崩すんじゃないかしら、と思ってましたが、数時間後も変わらず元気だったので野良は頑丈でいいなと思いました。

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レポート:

普段 水の表面張力に慣れてる虫たちは、油の弱い表面張力で普段できる動きを失敗して水に溺れる

揚げ物に使った油でも野良猫は平気

一心不乱な猫は写真を撮りやすい

 

 

髭とあざとい男子の話1

5月26日 くもりときどき雨

本日のBGM Fkj

シェーバー、いわゆる電気剃刀の刃の上を なめくじが這ったあとの粘液がついていて、小満の走り梅雨に生命の息吹を感じ、なんて時候の文句を並べつつ、髭、ひげ、アフタヌーンシャドーについて。

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私は陶芸家なのですが、陶芸家というのは外見に無頓着でも それがむしろ芸術肌だとかで評価されてしまうという風潮に甘んじて、ヒゲを生えるがままに生やかして何の手入れもせずモサモサのヒゲ面を振りまいて過ごしたいのですが、いくらでもヒゲを生やせる環境にいる私みたいなのに限ってヒゲが薄く、伸ばしたところでしょんぼりした感じになるので3日にいっぺんくらいの頻度で剃っています。

私の場合3日に一度で、本数の少ないチョロヒゲだから2分くらいで剃り終わるのですが それでさえめんどくさい。これが剛毛で毎日剃る必要のある人だと まあーめんどくさいと思います。ヒゲについて男性が思う事ナンバーワンは「剃るのがめんどくさい」に尽きると思うのですが、このめんどくささから解放されるには永久脱毛しかないのかしら。

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でも脱毛ってお高いんでしょう〜?脱毛は何回か通院を重ねる必要があって、途中で辞めたりしたら それまでかけた費用が無駄になってしまうため、毛穴という毛穴を焼き殺すまでは終わらないし終われない、絶対に負けられない戦いなのです。でもその人の毛根の強さによって殲滅までの時間が変わるので、どのくらい通院が必要か戦を始めてみるまでわかりません。

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もし毛根勢が予想以上に根性だして ゲリラ戦を展開したら「これにかかった費用を稼ぐ時間と、髭を剃る時間、どっちの方が長かったのかな?」などと考えてはいけないことを考えてしまいそうになるので、何か身近で経験した人はおらんかなと思っていたところ!

私の友人で、剛毛で、毎日ヒゲを剃る必要のある仕事で、お金は十分にあるけど使い道を見出せなくなっているという幸せなのか不幸せなのかわからない男性がヒゲ脱毛を始めたそうで、私はその彼の実際やってみた感想や、かかった費用や期間などを聞いて脱毛オアノット脱毛の判断をしたいと思いました。でもヒゲにレーザー当てるの結構痛いらしいので もうすでにやる気はなくなっているんですけど。

一方でヒゲに対して真逆の志向性を持っているタイプの男性もいまして、30前後の男性で、実年齢より若く見られることにコンプレックスを抱いている人たちです。私は中学生の時から老け顔であると教師からも認定されておりましたので その手のコンプレックスはありませんが、そんな彼らがまず最初に大人の装飾として選ぶのがヒゲを生やす事で、そのチョイスの安直さがもう微笑ましく思えたりします。

私の友人その2がいまして、彼は実年齢より若く見られる事が多く、仕事での取引相手や部下などから ナメられないようヒゲを伸ばしており、リンカーンやスピルバーグのように、ヒゲを生やした事によって貫禄が出て仕事も大成功という作戦を遂行しているのですが、

残念なことに彼のヒゲも私と同じタイプで、範囲が狭く、密度が薄く、最長でも1.5cmくらいしか伸びないので、むしろ中学生が背伸びをしているような痛々しさが醸し出され、それをゴリゴリに指摘しても本人の意思は固く、ヒゲを伸ばし続けていればいつか濃くなる、あるいはそれが似合う顔立ちになると信じて聞かず、

「俺のビジョンに追いつけない哀れな大衆、そして逆境をはねのけ信ずる道をゆく俺」という大変厄介な状態に突入しておりまして、こうなるともう指摘の言葉は敵国の伝単のようになってしまい、ヒゲは似合わないと言うほどに本人の士気が上がっていくだけなので、行くとこまで行ってもらって、竹ヤリではどうにもならなかったね、ということを自覚していただき、客観的な判断のもとヒゲを剃った時、彼の見た目年齢も少し上がるのかもしれないと思いました。

あざとい男性については次に続きます。

 

 

髭とあざとい男子の話2

5月27日
本日のBGM  The bird and the bee

実年齢よりも若く見られる友人その3がいまして、彼の写真を女性の友人に見せたところ、「あら爽やかそうなイケメンですね」と褒めていただき、ちなみに彼33歳なんですけど、と付け加えたら「え!それはない!ひくわ!26とかじゃねーの!?」と驚かれて評価が一転し、見た目が若くても女性に好まれないタイプの若さもあるようで、

男性が若々しいと思われるのか、それとも幼いと思われるのか、この2つは似てるようであって明確に違うみたいで、一体何が両者を分けるポイントになるのかしら。 

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髭で貫禄をつけたリンカーンも、「性格やら経験やらは顔に出るから 人は見た目じゃないなんて甘えた事ぬかしなさんな」と言ってますから、大人っぽく見られたいなら髭を蓄える前にやることがあんだろ ってことでしょうかね。 

つまり内面を磨けよ という事みたいですが、外見に滲み出るような内面って それまでの人生で積み重ねてきたものだから、今さら方向修正しようとしたところで もうほとんどの部分が手遅れなのでは。。もしかしてその手遅れな内面のどうしようもないイタさを指して幼いと思われてるのだとしたら。。キャアア!これ以上は考えることをやめましょう。

幼く見られることを嫌がる男性がいて、幼く見える男性を嫌う女性がいる一方で、かわいい男性を好む女性や、かわいさの研究に余念がない男性も一定数いて、それらは増加傾向にあるみたいです。(ここで言うかわいいと幼いは違うものだと思います)

「あざとくて何が悪いの?」という番組がありまして、どんな番組かというと、巷間で繰り広げられる恋愛活劇における「あざとい」と思われる行為を、有志からなる「あざとさGメン」たちが取り締まり、番組に書類送検して、その資料を基に 事件の顛末を見目麗しい女優さんでもって再現し、

泥棒のプロが現役を降りて、犯行手口の解明で警察に協力するように、あざとさのプロ達が あざとさ事件再現ビデオを事細かに検証し、犯行の手口ならびに動機を解説すると言う番組でございまして、

先日放送された回では「あざとい男子」という生き物にも注目し、かわいい男性たちが実はどのような手練手管で色恋のしのぎを削っているかを解明するため、その道のプロである男性ゲストが登場しまして、

「あら可愛らしい。こんな人に甘えられたらお金やステータスを勝ち得てきた器量の良いお姉様方はメロメロになっちまいますな」と思って、そして見ているうちに判明した彼の年齢が31歳。「さ!さんじゅういち?! 22、3とかじゃねーの!?」と 私は冒頭の友人女性と同じようなリアクションをしてしまいました。 

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もちろん彼は俳優なので「元泥棒が教える防犯対策!」みたいに かつて手を染めた犯行手口を実演してくれているので、彼自身の実態はまた別のものだと思いますが、なるほど、期待の裏切られ方には良いパターンと悪いパターンがあると思っていたけど びっくりしてしまうというパターンもあるのね。 

つまり私も年齢に対して「ふさわしさ」みたいなものを思い描いていたようで、これは日本人が今まで年功序列の縦社会でやってきた影響が大きいと思われます。 

縦社会だと1歳の違いでも敬語を話さなければいけない、年上に気を遣わなければいけないなど、こちらの態度を一部強要されるもんだから、年上に対してその分の大人らしさを期待して、その期待に添えない年上たちを勝手に軽蔑したり、非難したりしてしまうのは、年功序列というシステムに対する反発ということでしょうか。 

だから私も31歳とはこのくらいのもんだろう、というモデルがあって、それとは全く違う価値観を垣間見た時にびっくりしてしまうのだと思います。 

ネット文化の発達で人間関係が地域に限定されなくなり、縦社会もどんどん緩やかに変化して、個人の取捨選択がコミュニティを作る基本になっていったら、年齢にふさわしいという概念が薄くなり、個人の自由を今よりもっと許すことができるようになっていくと思います。 

あざといことは気遣いでもありますし、人を喜ばす方向の努力なので いいことだと思います。もし私が あざとい女子あざとい男子の跋扈する現場に同席したら、もう垂涎ものでございまして、彼らにどんどんアシストのパスを出して どんどこ焚きつけ、恋愛浪漫活劇を熱演していただきたいと思います。

そして後日、下賎な輩たちと共に、事の顛末を脚色しつつ美味しく反芻していただく所存でございますので、あざといのは大歓迎です。

あざとい行為は周囲数人の相対評価の下落を踏み台にして、私だけがよければいいの!というジャンプですので、その踏み台にされた方たちのイラ立ちは半端じゃないと思いますが、遠くから見てたらとっても面白いので、かわいさ求道者の方たちは より嫌味に見えない あざとい技術を開発してもらい、あざとさGメンの方たちは 少しの利己性も見逃さない鋭い眼力を養っていただいて、些細な会話でもいろんな針が飛び交う高尚な都市文化を育てていただければ幸いです。

社会が爛熟すると恋愛期間が長くなると言いますから、30歳でぶりっこはきつい、などと了見の狭いことは言わず、男女問わず30歳は37歳くらいに可愛がられて40歳は50歳に可愛いがられるような、それぞれのステージであざとさを武器に恋愛活劇の舞台で暴れまわってくれたら、若者の情操教育上とってもいいなと思いました。

髭とあざとい男子の話おわり

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目

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