あがの焼窯元 庚申窯(こうしんがま)

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6/4~6/10の日記

2020.06.13

コウヅルユウタです。

この日記は庚申窯のオンラインショップ

「くろつる屋」のブログを

1週間分まとめたものです。

 

 

6/4 5人ひなと若いツバメの話

6/5 テイカカズラと藤原定家の話5

6/6 オブジェ的なものとそれっぽいタイトルの話

6/7 テイカカズラと藤原定家の話6

6/8 とんぼ返りとあくび指南の話

6/9 人見知りと幼年期の終わりの話

6/10  テイカカズラと藤原定家の話7

 

 

今週も半分くらい藤原定の話ですね。

て言っても中身はあんまり藤原定家じゃなかったりしますけど。

 

そんなことより梅雨に入りまして、現在 蚊、モスキート、吸血虫、にくいあんちきしょうによって、寝てる時に散々血を吸われ、非常に質の悪い睡眠によって高校生に戻っている夢をさっきまで見ていましたが、

 

なぜか私はよく高校生の頃の夢をよく見まして、その中で一貫して思っていることは、「確かそこそこいい大学を出たはずなのに またここに戻って授業を受けんとあかんのか!もう数学の公式とか忘れてるっちゅうねん!」

 

といううんざり感。そして「よりによってお前出てくるんかい。よく出てきたなあ!」という普段では決して思い出さないような、当時そんなに親しくなかったクラスメイトの出現にびっくりするということがあります。

 

ちなみに今日の夢はドSの女数学教師が、カバンに教科書を詰めて帰り支度をするという作業を、一人一人スムーズに流れるようにやらせて、途中で誰か詰まったら連帯責任で最初からになるという、大変生産性のないプレイを強要させられておりました。私の番が来る前に終わったけど。

 

 

くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。

 

 

5人ひなと若いツバメの話

 

6月4日 くもりときどき晴れ

本日のBGM Think Twice

 

ツバメのヒナが もう常に温めなくてもいい段階に入ったみたいで、母ツバメと父ツバメが両方餌を取りに出かけてはヒナたちに給餌しています。

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ヒナは今のところ5匹くらい いるっぽいのですが、まあなんていいますの、最初目がどこにあるのか分からなくて、「あ 目が無くて うごめいてる生き物って気持ち悪いなー」と思っていたら、正面のやつよく見たら目が薄く開いてて、でもなんかこの目元のエイリアン感というかネオテニー感というか、これはこれで気持ち悪いですね。うん。

 

 

巣の真下に羽毛が落ちてて、多分親ツバメの羽だと思いますが(だってヒナたちの毛の量ってチャーリーブラウンくらいしか生えていないし)、ほわんほわんで大変軽やか。

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多分これは冬毛みたいなもんですよね。ヒナたちを見てても「なんかぼやけて見えるなー」と思ってたのですが、この冬毛をヒナたちにぶっかけてるからそんなふうに見えるんでしょうね。毛布がわりってことですかな。

 

あんまり毛を抜くと夜中寒そうですが、夜は巣に戻って一緒に寝るから大丈夫!

 

と思いきや、夜の巣には母ツバメしかおらず、父ツバメは巣から追い出されてこの扇風機のところで一人夜を明かします。ちょっと哀愁ある感じ。

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毎年父ツバメはこの扇風機をねぐらにしているのですが、毎年なのでなかなかにフンが堆積しており、この扇風機 もはや凶器と化しているんですよね。もしスイッチを入れたらカタストロフィーが起こると言い伝えられております。

 

ツバメは商売繁盛とか言われていますから無下には出来ませんで、ツバメのためにしょうがなくこの扇風機を御神体の止まり木として残しておるのです。決してめんどくさいからという理由で フンまみれのまま放置しているということではないのです。

 

 

このツバメ夫婦は現在子育て真っ最中ですが、その他のツバメたちは 1度目が手を離れたのか、ただ今2度目の子作り期に入っているみたいで、今 扉を開けっぱなしにしていると、「ワシらが巣をかけてしんぜよう」っつって下見にきては作りやすそうなところを吟味してやがるので その度に追い出します。

 

特に工房はなかなか人気で、扉が空いてると「この辺じゃない?」「いやそこはダメよそれよりもこっちよ」「いやーそこはどうかな、日当たり良くないんじゃない?」「でもそこだと風水的に良くないのよ」 みたいに2羽並んでいたりするのでその度に締め出します。

 

常に扉を開けるのは作るものの関係上無理だからなのですが、庚申窯の工房の半分は、扉なしで自由に出入りできるのだけど そっちには巣つくんないのかしら。

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でもこちら↑考えてみたら猫プレデターたちが常にうろついてて、足場も豊富だし、天井近くの梁の上とか普通に歩いているので、高さによるディフェンスが活かせないんでしょうね。まあこっちに作られてもフンの事考えたらやっぱ嫌ですな。

 

フンは迷惑ですけどツバメはいい感じですよね。見た目がね。ツバメの背中の深いネイビーの羽の色が大変好みで、あの藍黒い感じはいつか釉薬で作りたいです。名前はツバメ釉とか?いやツバメ釉はないわね。あんな色で徳利セットなんか作ったりして「これで若い燕にお酌をどうぞ」みたいなコピーで売れるんじゃないかしら。そう考えると あざとい男子とツバメは似てるのかしら。利用できるものはした方がいいって所?あわわわわ

 

 

テイカカズラと藤原定家の話5

 

6月5日 晴れ
本日のBGM 中森明菜

 

前回 初期老人はよく体調不良をアピールするということを書きましたが、あれは体の衰えという自分自身の変化、または急な生活の変化などが起こって、

 

本人は自覚しないけど、その変化によるストレスに体の方は反応してて、その結果  体調が優れなかったり、気分が塞ぎ込んだりしてしまうみたいです。

 

 

そうすると本人は、この体の不調には何か原因があるはずだと、自分の体の悪いとこ探しを始めて いろいろな病院に検査を受けに行きますが おおむね健康だったりします。

 

 

これは老境に限らず、どの年齢でも起こることで、その人を取り巻く環境が変化すると、意識の段階では無自覚でも、どうにも気持ちが塞いだり、体がなんか気怠いというような、心身の不調が表面に出てきているもので、五月病とか マリッジブルーとか 季節の変わり目とか、そんなやつの正体は だいたい環境の変化によるものです。

 

 

さらにこの環境の変化によるストレスは人間に限ったことではなくて、近所の猟師さんが言うには 、1日の気温差が激しい時や、毎日天気が変わる時期などは 猟犬たちも元気がなくなり、食欲も不振になるそうです。ということは生き物というのは本来 環境の変化がとても苦手ということですね。

 

 

なので「なんか知らんけど だっるいなー」とか「なんか しんっどいわー なんか。なんか しんどいねん」という時は、原因は自分にあるのではなくて、周囲の変化や時の流れによることが多いですので、これはもうどーしよーもないってことで、とりあえず周りのせいにしておいて 極力何もせずアンニュイ気分を満喫してるのがいいんじゃないでしょうか。

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さて そんな体調の悪さをずっと日記に書いていた藤原定家(ふじわらの ていか)ですが、彼の生きた時代は大きな変化が相次いで起こっていました。

 

 

定家は平安時代の末期に貴族の家に生まれて、このまま自分は優雅に生きていけると思っていたら、貴族を押し除けて武士である平家がどんどん登り詰めていって世は平家の天下に。

 

と思っていたら源氏が兵をあげ、それでも平家の圧倒的有利とされていたのに、あれよあれよという間に平家が崩壊、今度は源氏による鎌倉幕府が誕生しました。

 

 

しかしその源氏も、北条家により初代将軍は暗殺され、2代目は伊豆に幽閉されたのちに暗殺、その跡を継いだ3代将軍 実朝(さねとも)は当時わずか12歳で、政治は北条家が執り行うようになりました。

 

実朝は宮廷文化に傾倒し、歌の才能もあったため、定家による和歌の個人レッスンを受けていました(実朝から送られてくる和歌を、定家が添削して返信する、という手紙のやり取りを繰り返していたもので、実際に会うことはありませんでした)が、

 

その実朝も成長して政治に関わるようになると暗殺され、源氏の血をつぐものはいなくなり、鎌倉幕府は完全に北条家のものになります。

 

 

そこに目をつけたのが、かつて定家と意気投合したけど なんか方向性が違って「愛するが故に憎い」的な関係になっていた後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)で、

 

「今こそチャンスや!政治をわいらの手に取り返すんやー!」と鎌倉幕府に戦を挑んだのが承久の乱です。

 

結果は幕府サイドの勝ちで、後鳥羽上皇はペナルティとして隠岐島(おきのしま:島根県の沖の方にある島)で引退後のスローライフを送ることとなり、朝廷の威光は衰え、政治の中心は完全に武家のものとなります。

 

 

このように定家の生涯ではそれまでの価値観が全く変わってしまうような、まさに歴史的な大事件が何度も起こっていて、それによる環境の変化と、もっときつい価値観の変化によるストレスが「体調悪いわーしんどいわー飯食えへんわー」という自覚症状に現われていたのではないでしょうか。

 

 

そしてこの大きな変化、特に価値観の変化は 現代でもガッツリ起こっていまして、もし未来の世界から現代を振り返った時、今の年代というのは歴史の大転換点と言われるかもしれません。

 

 

特にインターネットの出現は確実に世界を変えましたし、近いところだとコロナウイルスの登場は人との交流のあり方を変えてしまいましたよね。

 

 

部署移動とか海外旅行前とか、そういう身近な変化であれば 「自分の不調もそこが原因かな?」と推測しやすいですが、一見自分とは関係なさそうな 大きな枠組みの変化でも、体は影響を受けているみたいです。

 

 

なので原因不明な体調不良を感じた際には、「今なんか だっるいけど、これは私の鋭敏なボデーが、社会全体の変化を繊細に感じ取ってしまって こうなっているのよきっと。だからこれは言うなれば人類全員の責任。私は人類のために世を儚んでしまえるポエットなのよ。うらら〜」なんて思ってれば ちょっと健康になるんじゃないですかね。まあちょっと うっといですけど。

 

さてさて 鎌倉幕府に戦いを挑んで敗れた後鳥羽上皇ですが、彼にスポットを当てると、定家の方にも今までとは別の角度から光が当たることになるので、次は後鳥羽上皇の話に続きます。

 

 

 

オブジェ的なものとそれっぽいタイトルの話

 

6月6日 くもり

本日のBGM Air

 

最近オブジェ的なものを作ってなかったみたいなので、昨日ろくろでお皿作ってたときの「あまり粘土」があったので一丁作ってみました。

 

ちなみにこの あまり粘土、木の上に置くと木が水を吸って、接地面が乾きすぎるので、吸水しない素材の上に置いたほうが粘土が均一に乾きます。大変役に立つ情報ですね。

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しかしオブジェと言っても私の場合、本当に何も考えずに作っていて、それで出来上がったよくわからんものを、オブジェという高尚なものとして認識していただけるのは大変ありがたいことだと思っております。現代美術の偉大な先人たちに感謝ですね。

 

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私はこういう↑ものを作る時は ほとんど自動運動で作っていまして、なにを作るとか考えないまま、手が勝手に動いてるってやつで、時間もあまりかかりません。こう書くと何かアーチストっぽいですが「だからと言っていいものができるわけではない」と言うことを予めご了承いただきますようお願い申し上げます。自動運動の成果は、なんやようわからんもんができるだけです。

 


だけどこの自動運動って健康にいいんじゃないかと思っていまして、たぶん箱庭療法みたいなもんで リラクゼーション効果高いんじゃないかしら。

 

陶芸体験に来られた方も、お皿とかは我々の作ったものを買っていただきまして、こういう無責任なものを作って遊んだ方が楽しいんじゃないかしら。

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ちなみに私は自動運動で作ると、どうも輪っかなどにご執心するみたいで、オブジェ的なものを作ると どこかを輪っかにしたりとか、穴を開けたりしてしまいます。

 

これはいったい何フェチなんでしょうな。神道でいうところの「何もない空間に神性が宿る」みたいな感覚なのかしら、って言っておけばこれまたちょっと芸術っぽいですよね。

 

 

本当になにも考えずに作りますので、この類のものは出来上がりに全く期待をしませんで、それが故に いざ出来上がると大概とても気に入ります。気に入らない場合は、何も考えずに作ってるから記憶に残らないのでカウントされません。つまり全部いいものが出来上がります。大変健康的です。「気を抜いてテキトーに作ったときの方がうまくいく」という説のカラクリはこの辺にあるのでは、、!?

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現代美術の人たちの努力のおかげで、無意味なものを作っても「逆にいいよね」みたいな感じで評価していただけるという大変ありがたい風潮がありますので、私も現代美術に倣ってそれっぽいタイトルをつけてみました。

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No.1「意思が自己を容認するまでの紛れもない空白と、それに携わる微かな無意識の澱」

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No.2「空間における誤認を促す冗長な会話と口角下制筋の逡巡」

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No.3「Ⅶ〜移動する意思、あるいは交流を渇望する孤独〜」

 

 

現代美術ですからね、難しげな熟語いっぱい使って、なんや言ってるようでなにも言ってない感じの長ったらしいタイトルを頑張って考えました。それぞれタイトル入れ替えても別に問題なさそうなところがいいですよね。現代美術って深読みしたら負けみたいなところありますけど、まあこんなもん話のネタになれば十分でしょ。おっとこれは現代美術を批判してるわけでは決してないですよ。いい意味です。逆に。現代美術の好きな概念「逆に」。おっとこれもいい意味でですよ。逆に。おっと。

せっかくなので手元にあった陶芸の道具もそれっぽく置いて、それっぽくタイトルつけたら それっぽくなるんじゃないかと思いましたが、このタイトルを考えるのがちょっともう面倒になっておりまして、時間にゆとりのある方は以下のタイトルを考えてみられてはいかがでしょうか。何か無駄な時間を過ごすということの快楽が芽生えるかもしれませんよ。

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「      」


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「      」

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「      」

おれ

「高鶴裕太 コウヅルユウタ陶芸家1991年生まれ2013年横浜国立大学経済学部卒業上野焼窯元 庚申窯3代目」

 

 

テイカカズラと藤原定家の話6

 

6月7日 快晴

本日のBGM Fats Waller

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今回は後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)についてですが、後鳥羽上皇は母親ちがいの姉である安徳天皇の次に天皇になった人で、安徳天皇はというと源平合戦の1番最後、下関で起こった壇ノ浦の戦いで、「もはや平家もこれまで」となった時に、三種の神器のひとつ「草薙剣(くさなぎのつるぎ:天叢雲剣 とも言う)」とともに祖母に抱えられて海に身を投げました。その時 安徳天皇は満6歳、後鳥羽上皇は満4歳でした。

 

 

後鳥羽上皇は、安徳天皇の死と、天皇の証である三種の神器を 史上初めて欠いた状態で天皇になった経緯により、周囲からはいつも「やめときなよー天皇なんてさーそんな器じゃないよきみい わたしが代わりにやってあげるよ?」とか

 

「しょせん棚ぼたなんだから 本当のところ誰も認めちゃいませんよー わたしだったらやめちゃうなー うん やめちゃうね」などと さんざん陰口を叩かれて、天皇という立場であるのに周りからは認めてもらえないという状況で育ちました。後鳥羽上皇もまた、天皇家の在り方が大きく変わる時代に生きた人物でした。

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「そんな国宝とか言うても剣が一本なくなったくらいで 何をそないにゴタゴタ言われなあかんねん。剣なぞまた作ったらええやんけ。金ならたんまりあるしい。今度作る時は外部のデザイナー雇ってもっとモダーンでオシャレーなやつにしたったろやないの」

 

などと現代の感覚からしたら思いそうなものですが、当時の貴族たちは どうもそのようには発想しないようです。

 

 

貴族階級というのはどこの国も大体そうですが、「自分たちが一般人より優れている」と言うことの根拠を 血筋の正統性に求めます。

 

ざっくりいっちゃうと「偉いあの人の ひいひいひ孫に当たる私もまた偉いのでっす!」という感じで、その感覚が何世代も続けば、やがて生まれてくる子供たちは、「偉い人は偉い。偉い人の親戚もまた偉い」 という考え方を、世界に昔から存在した自然法則のように当たり前のことと思うようになります。

 

 

まあ犬の血統書みたいなものですが、そういう世界では伝統というものが非常に重く扱われます。下賤な民である私などは「そんなん形だけやんけ」と思ってしまいますが、彼らにとってはむしろその形こそが主体であって、形式に則らないことを彼らはなによりも拒絶します。形式を軽んじることは自分たちを軽んじることにつながるからです。

 

 

映画でもマイフェアレディとかプリティウーマンとかで、下層階級役のオードリーヘップバーンやジュリアロバーツが上流階級に仲間入りする際に審査されるのは、美しい服装と上品なマナーと正しい言葉遣いです。これらに加えて、伝統的なしきたりや儀礼に関する知識を習得しているものが貴族社会において優れた人材となります。

 

 

服装とマナーと言葉遣いは現代でも ばっちり通用するスキルで、逆に言うとそのスキルはすべて努力で身に付けることができるから、才能よりも努力でどうにかなる部分を評価してくれる所は貴族社会のいいところかもしれないですね。

 

 

まあコールガールが たった半日で言葉遣いを改善した上、正しいマナーまで身につける、というのは 並大抵の努力では不可能だと思いますが。

 

 

貴族たちのこういう態度は、信仰する神様を除けば 自分たちが世界のトップに立っているという自覚によるもので、彼らにとって重要なことは自分たち同士の世界でおこる物事であり、他の貴族から認められないことは、ステータスから「貴族」を抜かれてしまうことを意味しますから、それは彼らにとって大変に恐ろしいものです。

 

 

このような価値観は、社会的な影響力が強くて、なおかつ人間関係が閉じている業界でも育まれます。その業界を作っている枠組み自体が強力で、重要なポストが限られていたりすると そうなるんでしょうかね。

 

 

藤原定家が50年以上日記を書き続けた目的も、宮廷の儀式における正しい作法や知識、服装や習慣など当時の公務において重要な情報 a.k.a 貴族おしごとマニュアル を子孫に伝えていくためでした。

 

 

んがしかし、定家は歌で高く評価され、子孫は歌道の家になったので、定家が子孫たちを救う家宝になると思って書いていた公職向けのお役立ち情報は あまり要らなくなってしまいました。ちょっと切ないですね。

 

 

それでも明月記は、定家の書体や当時の記録を伝えてくれる非常に重要な書物に変わりありません。むしろ歌の実力によって、マニュアルに縛られなくてよくなったというのは、現代から見れば大変うらやましいことのように思えますね。

 

 

えー、結局後鳥羽上皇については また次に続きます笑

 

 

とんぼ返りとあくび指南の話

 

6月8日 晴れ

本日のBGM Eddie Higgins Trio

 

またイカしたトンボがいたので今回は動画をとってみました。

 

 

動画の中では触ろうとしたから飛びましたけど、近づくだけなら全然動きませんで、なんか飛び方もフラフラしてるし 羽もピラピラしてるから、もしかしたら羽化したてとかで まだ体が固まり切っていないんでしょうか。

 

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ところで こやつ じっくり見るとなかなか小粋な顔をしていて、口に角度があると表情があるように見えるんですかね、ちょいと愛くるしささえあります。この口で蚊などをバリバリ食べる立派なプレデターに成長していただきたいものですが、庚申窯にはツバメというさらに上位のプレデターがいますからね。そちらの方はうまく逃げていただくとして、

 

トンボというとトンボ返り(バク宙)というのがありますが、私はトンボ返りに昔から憧れを持っておりまして、いつかできるようになりたいと思っていた人生における夢の一つです。

 

 

トンボ返りには体のバネとか体幹の筋力とかが必要で、選ばれた者のみが会得できる技らしいのですが、それの手をついたバージョンのバク転は 勇気さえあれば割と誰でもできるそうです。

 

 

しかし勇者は早死をすると言いますし、特に実力が伴っていない者の勇気は 無謀とか無茶とか向こう見ずとか そそっかしいとかと同義ですから、私はみっともなくても生き延びる臆病者を選ぶのです。

 

 

「じゃあ夢は叶わないじゃないか」とおっしゃる方がいらしたら「夢なんて叶わなくて結構。夢は叶わないまま持っといた方がいいに決まっちょるんですたい」と胸を張って答える所存です。

 

 

バク転やトンボ返りなぞは できる人に対して「すごーい」なんて言ってる状態が1番良くて、歌舞伎役者でもないのに練習してまでやるもんじゃないし、習得したからってトンボ返りを披露する30代ってちょっと痛いだろうし、

 

仮にそれがモテにつながるとしても、好ポイントは「トンボ返りができるくらいの身体能力」という点であって、トンボ返り自体は余程使うタイミングがハマらない限り イキリたがりの脳筋野郎と思われるに決まっていますので、

 

「トンボ返り?やればできるかもしれませんね〜  いや〜 昔はよくはしゃいでやってたな〜  はっはっは〜」という雰囲気と見せ筋だけ晒しとけばいいんですよ。でもそれも十分キツイけどな!という風に、私は体のバネや体幹を鍛えるよりも、自己の現状を肯定する屁理屈だけを今日まで鍛えてきたわけですが、

 

昔テレビで「バク転をやりたい人たちのための誰でもできるバク転講習」というのを行なっている会社が取り上げられていて、私は当時「なんてアホな商売や」と非常に感銘を受けたのを覚えております。

 

 

江戸時代にも「猫の蚤取り」とか「耳の垢とり」とかアホな商売はいっぱいあったそうで、「親孝行」なんてのは洒落が効いてて非常に文化水準が高いと思うし、「お妾さん」も 当時は紹介所もあるような立派な職業だったみたいです。

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落語にもアホな商売を題材にした「あくび指南」という演目があって、「イキでオツなあくびの仕方を教える」というこの仕事は、アホな仕事の中でも頭ひとつ抜けていて、ある種の極みに到達しているようにさえ思えます。

 

 

文化が爛熟期(らんじゅくき:くさりかけが一番うまい的なやつ)に入ると、このような「社会が遊ぶ」ことが増えてくるみたいですね。それはもしかしたら全員が共有できるような明確な夢がなくなった時代に入ったということなのかもしれませんけど。

 

 


あくび指南は架空の仕事、つまりギャグとして1番あり得なさそうな仕事ということで創作されたのでしょうが、現代ではもしかしたら本当に出てくるかもしれないから油断なりません。あくび専門ユーチューバーとかね。

 

 

あくび専門ユーチューバーって、かわい子ちゃんがやったりして流行ってくれないかしら。「では初めての方には比較的やさしい 夏のあくび から学んでいただきたいと思います。『おい 船頭さん、船をうわ手へやってくんねい、、』リピートアフターミー」なんて。

 

 

でもこのあくびのバリエーションをたくさん思いつけるくらい想像力のある人だったら 他のことやった方が確実に儲かりそうですな。。スキマ産業の極みでもありますな。

 

 

 

 

人見知りと幼年期の終わりの話

 

6月9日 晴れ

本日のBGM Judy Collins

 

今日はカメラマンの友人と、くろつる屋の管理人である妹と、その娘の 2歳をいくらか過ぎたY氏が庚申窯に来ておりまして、また動画の撮影をしていました。

 

 

動画には「庚申窯の人々」という当たりさわりのなくて無難な、ではなくて、シンプルで飽きのこないタイトルがつくことになりまして、タイトルの文字を妹が筆で書いて、その書いてる様子を撮影したり、

 

あとは「Y氏の庚申窯探検」という、子供が自然の中で遊ぶというシリーズも撮影するつもりだったみたいですが、お年頃なワイ氏がバチバチに人見知りをかましてくれまして、カメラを向けられるたびに逃げていくので、なかなか撮影もままならなかったようです。

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カメラマンの友人は結構子供好きで、ワイ氏が生まれたての頃からワイ氏のことが割とお気に入りだったから、久々の再会で すっかり忘れられたことに いささかショックを受けつつ、それでもめげずに 人見知りでつれなく逃げ回るワイ氏を、哀愁漂う背中にカメラを担いで追い回しておりました。

 

 

私も子供のころ、当時から自分でも「ひどいな〜」と思うくらい人見知りだったので、逃げ回るワイ氏の気持ちも非常にわかりまして、その頃の気持ちを思い出してみると、親しみのない他人はとっても「イヤ」なんですよね。

 

 

もしかしたら「知らないから怖い」も幾分かあったのかもしれませんが、とにかく「イヤ」というのが大きく、「いつも通りの自分が出てこない」という感覚もあったと思います。

 

 

人見知りは 知らない人はもちろんのこと、知ってるけどそれほど親しくない人にも同じように発動して、その人たちの前ではすんごく消極的になって、動いたり喋ったりがうまくできませんでしたが、

 

そのことを自分でも分かっておりまして、人見知りをコントロールできない自分にも随分イヤな感情を持っていたように思います。

 

 

他人がイヤというのは、おそらく彼らが思い通りにならないから ではないでしょうか。幼年期というのは言葉など喋らなくても、こちらを気遣って ご機嫌をとって 自分の代行をなんでもやってくれる親との完結した世界の中にいて、その状態はもはや「王」って感じですが、そこにやってくる他人というのは全くルールが違っていて、心地の悪い異物のように感じるからイヤなんだと思います。

 

 

人見知りの始まりというのは たぶん他人の区別がつき出して、それは同時に自分と親との区別もつきだすことで、自分の幼年期の終わりを感じ始める時期ではないかと思います。

 

 

親との関係は阿吽の呼吸で意思が伝えられるのに、ルールが違う他人の前では、演じるべき人格をまだ獲得していないから、どうしたらいいのかわからないということなのかもしれません。

 

 

そして親とのセットではなく、独立した人格として扱われることに対する戸惑いもまたあるのかもしれません。それはつまり社会性を身につけ始めた第一歩という所でしょうか。

 

 

現在の私は人見知りが治ったのかというと、根本的には治っておりませんで、人見知りのまま自分の人格をコントロールする術を習得してるというような状態です。

 

 

そのおかげで人前だと どうしていいかわからず途方に暮れるということは無くなりましたが、「人に会った後は やはりとっても疲れるなー」という感じで、他人用の人格の装着に疲れることを自覚しておりまして、

 

例えるなら普段ノーメイクで気楽だけど、たまに人前に出る際のメイクは、慣れてないもんだから やたらと時間と手間がかかって、必要以上に丁寧に塗っちゃうから、家に帰ってメイクを落とすと自分が疲れてることに気づくみたいなもんかしら。

 

 

他人と関わるための、親から独立した人格が形成され始めた 柔らかい段階が、人見知りという時期なのかもしれません。

 

ただ私の場合は逃げのタイプの人見知りでしたが、ワイ氏の場合は、今日など 私を家の中から追い出した後、扉を閉めて入ってこれないようにしようとしていたので、たいへん能動的な人見知りで、こやつは いずれ大変勝気な娘になるだろうなーと思いました。ワイ氏の将来がとても楽しみです。

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テイカカズラと藤原定家の話7

 

6月10日 晴れ

本日のBGM 神田広美

 

前回の続きから、貴族社会について。
貴族たちと言っても元は同じ人間なわけで、一般人に比べて寿命が3倍くらいあるとか、目からビームを出すとか、手のひらから何か粉みたいなものが出る、というような明確な違いがあるわけではないため、彼らは自分たちで作ったルールを かたくなに守ることによって、貴族としての尊厳を築いていました。

 

 

そのため貴族社会における しきたり というのはかなり強固なものになり、賛成するにしろ反発するにしろ、中心にはしっかりと「貴族のルール」という軸があって、異なる価値観が育まれる土壌となる「情報」も中国との船便くらいしかありませんでしたから、貴族の社会は現代に比べたら非常に小さな世界で完結していて、彼らは みんな同じ価値観を共有していました。

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そのような形式ガチガチな宮廷の中で、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)自身も、三種の神器が揃わずに天皇になった事を意識せずにはいられませんで、なんかヘマをやらかすと周りからは

 

「やっぱりねー 神器ないからよねー だから徳っちゅーの? トク。徳がないのよねー やっぱり 神器ないもんねー やーねー」などと やいやい言われる始末で、こんなことを物心ついた時からずっと言われ続けてきたので、後鳥羽少年が青年になるころには 「正統な王コンプレックス」というのが心に根深〜く植え付けられていました。

 

 

通常こういったコンプレックスは、ハングリー精神となって、仕事をする気力とか出世へのモチベーションに変換されて、社会的な成功につながることが多いのですが、後鳥羽上皇は3歳の時点で 既に国のトップになっていましたから、この承認欲求を出世のために使うことができないし、出世することで周りを見返すこともできないんですね。

 

 

となると後鳥羽上皇が競うことのできる相手は、歴代の天皇たちと、目の上のタンコブの鎌倉幕府になってきます。

 

つまり偉大なかつての天皇たちと比べられた際に、「後鳥羽上皇様も十分にイケてるよね。てか上皇様の方がイケてない?上皇様うたがってごめえ〜ん!」と貴族たちに自分のことを認めさせたくてしょうがなかったため、後鳥羽上皇は「実力のある天皇」を目指しました。

 

 

後鳥羽上皇もまた和歌の才能があったため 歌の文化に精通して、当時「小難しいだけで つまんない」と あまり評価されていなかった 藤原定家の才能を見抜いて持ち上げたり、過去最大規模の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう:天皇プロデュースの、和歌をいっぱいあつめたアルバム)をつくったり、

 

既に絶えていた古いイベントを復活させたり、一方で新人の発掘にも積極的で、史上最大の和歌フェス「千五百番歌合」を開催するなど、文化の面から見ても後鳥羽上皇は歴史上無視することのできない天皇となりました。

 

 

と同時に、優秀な王であることのアピールは政治面でも、鎌倉幕府に対しての強気な姿勢などにあらわれました、朝廷内でも、ワンマン経営者的にさまざまな改革をおこなったり、役職の任命も自ら決めたりするなど、自身が成長するに ともない政治に勤しむようになりました。ただそのワンマンぶりも、なんてったってワンマンですから、貴族たちからの評価は当然芳しくなかったみたいです。承認欲求の空回りというところでしょうか。

 

 

後鳥羽上皇もう少し続きます。

 

 

 

 

 

 

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