あがの焼窯元 庚申窯(こうしんがま)

最新情報

陶芸体験のや周辺のニュースをお伝えします。

5/14~5/20の日記

2020.05.24

コウヅルユウタです。

この日記は庚申窯のオンラインショップ

「くろつる屋」のブログを

1週間分まとめたものです。

 

 

5/14 活用されていないいくつかのスペースと活用されるゴミの話

5/15 赤い虫と寿司桶の話

5/16 翼果と高反発スポンジの話

5/17 ムーディーな照明と轆轤の話

5/18 芥子菜とヘルメットの話

5/19 感情のエネルギーともったいない倉庫の話

5/20 感情代行業者と夕凪の話

 

例によって大まかにしか書いたことを覚えていませんが、この日記は作業中に思いついたことや、自分の中の象形を言葉にするとしたら こんなところかしら、という感じで書いております。その都度の思いつきなので矛盾があってもそれは正しいのです。矛盾を抱えられるというのは人間ならではなのです。

 

くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。

 

 

活用されていない幾つかのスペースと活用されるゴミの話

5月14日 くもりのち晴れ

本日のBGM David Benoit
 
 
新緑もぐんぐん伸びる盛りで
母が庚申窯前の木を切っておりました。
 
 
庚申窯にはポテンシャルが高いのに
メンバーたちの無精により
活用しきれていない幾つかのスペースがございまして
そのうちの一つが こちらのガラスのショーケース。
 
 
前に生えてる木の方が目立つので
このショーケースがあることを
来た人のほとんどが気づかないと言う体たらくです。
いいかげんバッサリ行っとこうと思ったようで
私も少しだけ手伝って
一応中が見えるようになりました。
 
 
ただこのガラスが太陽ののぼる方向と
正対しておって、普段は真っ白に反射して
やはり中が見えないので
フル活用への道は遠いですね。
 
 
まとめると結構な量に。
庚申窯ではそのまま裏で燃やせるので
ゴミ問題にはなりません。
燃やした灰で釉薬も作れるしね。
 
 
そして昨日の続きでくすりかけを日中していて
今日の主なうつわはこの2種類。
 
 
この2つ分の写真を撮ったら
写真の量がとても多くなったので
今回は小皿の釉薬のかけ方だけご紹介します。
 
その小皿の釉薬をかけるのに使う器具がこちら。
 
中世の拷問器具のような いかつい見た目なので
青空バックで爽やかさを補っておきました。
 
これ名前なんていうのか わかんないのですが
こんな風に素焼きの小皿を挟みまして
 
 
釉薬の中へ浸けてしまいます。
この釉薬はナンバー6の
水色とかピンクとかになる釉薬です。
釉薬の時はこんな感じですね。
 
 
 
 
 
こういうお皿だと、普段は 
指でお皿を掴んで、手のひらごと
釉薬の中へダイブするのですが、
それをやると指で掴んだ部分の釉薬が
多くなって そこだけ色が濃くなります
 
 
今回の小皿は卸(おろし)用なので
あまり指の跡と分かってしまうのは好まれず、
この拷問器具を使っている次第です。
 
まあこの掛け方でも釉薬の濃さにムラができて
多少の色の揺らぎが出ますが、
それはまあなんというか
いい感じの手作り感で、
ガチの天然だとうっとうしいけど
ちょうどいい具合の天然キャラなら可愛いみたいな
そういう感じです。
 
計算と気遣いが必要なんですね。
 
 
釉薬をかけた後がこんな感じ。
 
爪の痕が3か所と液ダレのたまりがありますね。
 
釉薬にもいろいろタイプがあるので
このくらいの液ダレでも そこだけ色が濃くなる釉薬もあれば
あるいは全く分からなくなる釉薬もあります。
 
この釉薬はどちらかというと色が濃くなる方なので
この液ダレ部分は「ちょうどいい具合に」
削ってあげる必要があります。
 
まずこの爪痕は指で揉んであげると馴染んでくれます。
 
 
指で揉んで馴染むかどうかも
釉薬のタイプで異なりますが、
この釉薬なら割と融通が効くので
このやり方で大丈夫ですね。
 
 
次に液ダレの部分は
このプラッチック製のナイフで削ります。
 
 
これは使い捨ての食事用のナイフだと思いますが
このプラスチックの硬さがちょうどよく、
私が大変愛用しているゴミになります。
このゴミがなくなってしまうととても悲しいですね。
これからも大事にしたいと思います。
 
んでこのナイフの刃の部分で
液ダレのたまりを他の面より
少しだけ厚いくらいにまで削ってあげます。
 
 
この後の写真を撮ってなかったみたいなので
ここまでですが、このやり方とは他に
前回出てきたコンプレッサーを使って
釉薬を均一にかけるやり方もあります。
完全さを求めるなら
コンプレッサーの方がいいかもしれませんね。
 
 
私の釉薬のかけ方では
ほぼ必ずコンプレッサーの出番が来るので
使わずに済むなら
コンプレッサーなしの方法を選択しております。
ということで
この小皿のくすりかけは まだ終わっていなくて
上から別の釉薬をコンプレッサーで
かけることになりますが
それはまた明日。

 

 

 

赤い虫と寿司桶の話

5月15日 くもりのち雨

本日のBGM Jane Birkin
 
 
数日前から赤いちっちゃい虫が
素焼きの器にやたらとくっついていて、
毎年見かけるので別に珍しくもないのですが
今まで私はこれをクモの子供と思い込んでて
せっかくなのでと調べてみたところその正体は
タカラダニというダニなのだそうです。
 
 
タカラダニについて簡単に説明すると
人を刺さない、植物にも害はない、
ダニの中では大型、梅雨ごろまで大量発生、
花粉を食べる、コンクリートが好き
という虫なんだそうです。
 
いやあ6個くらい特徴を並べると
ある程度キャラクター像が浮かび上がってきますね。
人間相手にやっても 人となりが見えてきそうです。
端的に人物説明をするときに便利かもしれません。
 
 
私がこの虫をクモだと思っていたのは
素焼きの器を外に並べていると
いつも小型のクモが、器のフチからフチに
巣をかけているからです。
 
器を外に置いて10秒後に見ると
もう巣をかけ始めているというありさまで、
何かクモというのは空間の中に
情報として充満している存在で、
素焼きの器を投入するとそこではじめて受肉して
巣を作るのではと思ってしまうくらい
常に器にくっついています。
 
 
それと同じくらい、
いやそれを上回るのがこの赤い虫で、
私はそうやって器にくっついた虫は手で払ったり
息で吹き飛ばして作業を進めるのですが、
 
器に赤い虫がいると、
吹き飛ばしてから釉薬をかけて置いて、
次の器を見るとまた赤い虫がいるので吹き飛ばしたら
もう釉薬をかけた方にも赤い虫がくっついている
というありさまなのです。
 
何か器に執着する理由があるのか、
それともそれくらいの密度で大量にいるのかわかりませんが
虫は結構うつわが好きです。
いい具合に隠れ場所になるのかしら。
 
 
 
今日は小皿に2種類目の釉薬をかけるので
コンプレッサーで作業をしています。
コンプレッサーを使うときには
この水たまりに回転する台を設置して、
その上に筒形の花瓶を置きます。
 
 
スプレーガンに2種類目の釉薬をセットして
 
 
先ほどの花瓶の上に器を置いて
下の台を左手で回しながら、
右手のスプレーガンで釉薬をかけていきます。
 
 
裏面が終わったら次は表。
 
 
かけ終わった器を近くで見るとこんな感じですね。
釉薬というのはガラスのもとになる粉が
水に溶けたものですので
スプレーで吹き付けると
こんな感じで粉っぽくなります。
 
釉薬をかけた時に
粉っぽくても、あるいは滑らかであっても
焼いてしまえば変わりません。
釉薬の量が大事ですね。
コンプレッサーで吹き付けるときは
釉薬の量の見極めが難しいです。
 
 
これを淡々とこなして全ての器に
釉薬をかけ終わった頃には
下の受けに飛び散った釉薬がかなり溜まります。
 
 
余った釉薬を捨ててしまうのはもったいないので
これをまたバケツに戻してあげます。
 
実はこの受けはプラッチックの寿司桶で、
活用されるゴミその2になります。
意外と最近は手に入らないから貴重ですね。
このシンプルさが大変使いやすいです。
 
 
電源を抜いてもコンプレッサー内の
空気の圧力は残っているので、
その余剰エネルギーを利用して
最後の掃除をします。
 
 
空気の圧力が高いままで放って置くと
故障の原因にもなりますので、
最後は空気を抜いてあげる必要があります。
 
コンプレッサー本体の元栓を開けても
空気は抜けるのですが、元栓から一気に空気を抜くと
その場の気圧が一瞬あがって耳が痛くなるので
できるだけスプレーガンから空気を抜いておきます。
そのついでに掃除を、ということですね。
 
 
綺麗に洗浄して釉薬はバケツの中へ。
 
左の黄色くて大きいバケツが釉薬の本体で、
余った釉薬を入れたバケツは、
別の釉薬やゴミが混ざっていたりするので
本体には戻さず、バケツだけで置いておき、
またコンプレッサーの時に使用します。
なるべく無駄になるものを
少なくしていきたいですね。
 
明日は多分窯詰めをします。
 
 
 
 
翼果と高反発スポンジの話
 

5月16日 くもり

本日のBGM Eddie Palmieri
 
夜のうちに雨が降っていたみたいで
朝は霧がかった景色になっていました。
庚申窯の上にある池の様子↓
 
 
その池に行く途中の道には
もみじが植えられていて、
赤い葉があるのでなんだろうと
調べてみたところ
この赤いのは もみじの実らしく
翼果(よくか)というそうです。
 
 
翼果は羽状に変化した果物になるそうで
羽に風を受けてなるべく遠くに種を運ぶという
生き残り戦略らしいです。
羽の根元のふくらみが種なんだとか。
 
いやあ もみじがこんな風な
実をつけるとは知りませんでしたな。
なんか勝手に増えてるんだろうと思ってた、
というか もみじの生殖なんて
気にも留めていませんでしたよ。
改めて観察してみるとそれぞれに
エボリューションしたスタイルがありますね。
 
 
 
ところ変わって こちらは粘土を作る桶の上の猫
 
私だったら そこを足場にしようとは
思わないけど、彼らは愛玩動物としての
ライフスタイルを確立したもんだから
身体能力を持て余して わざわざ難度の高い
行動をしたがるのかしら。
 
あと20万年くらい人間に飼育されたままで
世代を重ねたら「昔の猫は2cmくらいの足場から
ジャンプして反対側に飛び移ってたのよ〜」
なんて身体能力が衰えた代わりに
喋れるようになってたりするかしら。
 
まあでも20万年は人間には長いですなー
もみじならまだありそうですけどね。
 
 
 
さて今日はテンションの上がらない作業上位の
「高台拭き」というのをやっております。
高台(こうだい)っていうのは食器の裏の
円形の筒みたいなところです。
 
 
釉薬というのはざっくりいうとガラスですので
焼いてる間は溶けて水飴みたいになり、
冷えると固まります。
なので窯の中に器を置いた時に、置いた場所と
器が接してるところに釉薬があると
その場で器がくっついてしまい、取り外すには
ガラス化した釉薬を割るしかないので
キズモノになってしまいます。
 
 
それを防ぐために
高台の地面と接する部分a.k.a畳付き
の釉薬をスポンジで拭き取ります。
 
 
このスポンジも特殊なやつで
陶芸ショップで売られてる
高反発でかたいスポンジです。
釉薬を拭き取るのは
このスポンジでなければあきまへん。
それくらい市販のものとは違うのです。
かたいんです。
元に戻るパゥワーが強いんです。
その結果余分なところにスポンジが当たらず
意図したところにだけスポンジが当たるのです。
もうこのスポンジなしの生活は考えられない。。
 
 
そんなスポンジに水を含ませて
釉薬を溶かしながら地肌が見えるまで
釉薬を拭き取っていきます。
 
 
この時に畳付きの部分だけではなく、
高台の内側と外側の側面も少しだけ
拭き取っておきます。
釉薬は流れるので、あまりギリギリだと
下とくっついちゃうかもしれないので。
 
この辺の細かい拭き取りも
高反発スポンジならではの仕事です。
 
 
一つ一つの高台を拭き終わったら
窯の中に釉薬の温度帯を加味しながら
なるべく体積効率よく詰めていって
今回はこんな感じです。
 
電気窯なので後は電気を入れるだけですね。
この電気窯はもう限界を超えているので
毎回焼くのが心配なのですが
ひと窯分無駄にするくらいの痛手をこうむれば
新調しようと思い立つかもしれません。
高いんだもの電気窯。
そして寿命が短い。
 
 
まあでも電気窯を使わないスタイルでも
かなりいけそう気はしてますね最近。
そうすれば選択肢が減って
作業に迷いがなくなるんじゃないかな。
そして制限があるからこそ
新しい技法が生まれるんじゃないかな!
 
しかしながら今は電気窯でしか
出せない色があるので、
しばらくはこのボロボロ爺さんと
付き合っていきたいと思います。
 
今回の窯出しは3日後くらいになるでしょうね。
うまく焼けてくれますように。
うまく焼けていない場合でも
その分精神的な鍛錬にはなります。
精神的なもんはいいから実利をおくれ。

 

 

ムーディーな照明と轆轤の話

5月17日 晴れ

本日のBGM ハイファイセット
 
 
夜の工房でろくろを回してる時は
裸電球の明かりの下、ちょっと雰囲気ある感じで
作業しています。
 
 
庚申窯の私以外のメンバーは
視覚的にチャレンジされた人たちなので
夜中に白色のギンギンな蛍光灯でも平気で、
その蛍光灯の色が一本ごとに違うことにも気づかないし
かなり明るくしていないと
手元がよく見えないということで
いろいろな部屋のほぼ全ての照明が
白色か昼白色の蛍光灯だったのですが、
 
私のアンチ蛍光灯キャンペーンにより
電球はオレンジ色のやつに差し替えられ、
ロングな蛍光灯も電球色のやつを
30本セットとかで買って差し替えまくり、
現在メインで使用する場所は
一応温かみのある感じの照明になっています。
それが変わったことにも気づかない人たちだけど。
 
 
しかし多くの作業においては、
高台を削るとか彫刻系とか
ペーパーがけなど、ほとんどは
明るい方がやりやすいので
蛍光灯が必要になります。
 
ろくろを回して器を作る時だけ
そんなに明るくなくてもいいので
電球の明かりで作業をしているんですね。
 
 
なぜ暗い中でろくろを回すのかというと、
もの作りにおいて、
やはり視力はかなり大事であると思うので、
必要のない時はなるべく視覚の負担を減らすよう
心がけて生活しており、その一環として
明るくなくて済むなら暗い環境を選びたい
というのが理由その1、
 
もう一つはろくろを回してる時
そんなに何かを見ていないし、目で見ずに
手の感覚で形を作りたいということで
ムーディな照明で器を作っています。
 
 
 
 
私にとってのベストなもの作り
というのは手作業を最小限に抑えて作る
ということで、
手間暇かけるのは粘土を作るところまでで、
形を作る段階ではあんまり粘土に触りすぎるのは
いい作り方ではないと考えています。
 
 
例えば
絵の下書きで何本も線を引いて
いくつもの線で心地よい輪郭を描き出して、
余分な線に消しゴムをかけていく、
という作業は
より洗練されれば
最初に引いた一本の線が正解の線になっている
という風になるのではないでしょうか。
そのような感覚がろくろで器を作る際にもあると思います。
書道の筆の運びに近いものがあるかもしれません。
 
 
ろくろで形を作るというのは
回転エネルギーの方向を手で変えているわけなので、
手に込める力をなるべく小さく
手が触れる時間もなるべく短く
というのが
私の目指す理想になります。
しかしながら現状はその状態に全く及ばず、
器一つ作るのにえらい時間がかかって
なかなか先は長いと痛感しておる皐月の夜更けです。
 
 
特に今 同じ形のものを数多く作るという
仕事を手掛けているので、
いわゆる修行というのを経ずにきた私の
一番苦手な分野で、ろくろを使った技術の不足を
これまた痛感しておるのです。
 
 
他の産地の人の話を聞いたら
一番最初
同じ形のものを1000も2000も作らされて
ダメなのはガンガン潰されるという荒行があるそうで、
 
それは作ることが嫌になったり
創造性が固まったりして
あんまりよくないんじゃないかしら
と思っておりましたが
今になって それをやらなかった分のつけが
回ってきていますね。
 
 
現在のもの作りにおいて
同じ形を正確に作るということが
どれほど必要なのかはわかりませんが、
少なくとも技量があるとそこからの応用が効くので、
応用ばかりしてきた私はセルフ修行で
今から基礎を身につけねばと思いました。
 
でもどっちがいいのかはわかりませんけどね。
3Dプリンターの精度が上がったら
原型の1点を作り込める才能だけが必要かもしれないし、
手作りだからひとつひとつ違うのは
むしろいいということもありますし。
 
でもそれは言い訳のようでもあるので
うまくなりたいと思います。
なるべく最小限の手の動きで。
なんか合気道の理合のようですな。
目指せ植芝盛平!
 
 
 
 
 
 
芥子菜とヘルメットの話

5月18日 雨のちくもり

本日のBGM Paul Desmond
 
 
 
一昨日 近所の人からもらった
芥子菜(からしな)を祖母が一夜漬けにしたようで
それがお昼の食卓に登場しましたが
これがまた どえりゃ〜うみゃーのです。
 
この類の漬物は 私の食べ物ランキングの中で
いつも上位にいるので、
そんな食べ物が簡単な手間で
食べられるというのはとても嬉しいですね。
まあ私が漬けたわけではないんですけど。
ご飯何杯でもいけるやつでした。
 
 
今日は朝から雨が降っていたので
主に室内での作業でした。
昨日に引き続きろくろ修行ですね。
 
 
そのろくろ台の真正面にある乾燥棚に
これまた一昨日くらいに陶芸体験にきた人が
作っていった丼が乾かしてあって、
それがヘルメットを利用して手びねりで作ったもので
これはいいアイデアだなあと。
 
このヘルメットはうちのではないと思うから
あらかじめ丼を作る算段を立てて
ヘルメットも持ってきたということなのでしょうね。
陶芸体験では自分たちでは思いつかない角度からの
発想があるからなかなか面白いです。
 
 
このヘルメットの曲線を利用した作り方というのは
もうそれだけで企画展として成り立つと思います。
ゴミ捨て場に行って
いろいろなタイプのヘルメットを拾ってきて
その形を利用して器を作るというのは、
 
企画として食いつきがいいと思うし
実際に作るものは
ヘルメットの形にそれほど縛られない、
むしろ元になったヘルメットの形から離れた方が
見る人ごとに感想を持ちかけることになって
より面白くなるのではないでしょうか。
 
中には丼の形からヘルメットを作ったりとか、
黒田官兵衛の丼カブトを再現してみるとか、
異種なものを組み合わせると、制限があるからこそ
作られるもののアイデアは広がりますね。
 
 
「思いついたけど実現はしなさそうな個展の企画」
でした。そんな思いつきだけはけっこうあります。
 
 
夕方、うつわの方が ある程度乾いたので
ヘルメットから外したようです。
ヘルメット自体なかなかオシャレですね。
工事現場用っぽかったです。
 
 
 
ヘルメットで思い出したのは
オハイオ州の空軍基地にある
人間有効性局というところが、
ヘルメットに微弱な電磁場を作って
それを脳の特定の部位に当てることで
どえりゃー集中状態を持続するという
研究をしておるそうで、
 
主な用途としてはスナイパーの集中力の持続や
長時間のドローンの操縦などになるそうですが、
それを取材に行った記者の女性の体験では
ノーヘル状態で射撃シミュレーターに入った時
次から次に出てくる標的達にパニックになって
スコアはダメダメだったのが、
 
そのヘルメットをかぶって同じ訓練をやると
頭の中から余計な感情が消えて
淡々とやるべきことをこなして
あっという間にミッションを
クリアしてしまったそうです。
 
 
その実験後の数日間、
彼女は自分の頭の中から
自己不信の雑音が消えて
完全な静寂に包まれていることに気づき、
しばらくの間、またあのヘルメットを
かぶりたくてしょうがなかったとか。
うーんドラッギー。
 
 
どうもこのヘルメットによる脳力向上の研究は
個人差が大きく危険性もわかっていないそうですが、
私もそのヘルメットをかぶれば
一日中集中してろくろ作業できるんじゃないかしら。
 
 
私の頭の中は常に雑音が流れてて、
自己否定と自己肯定の反問が渦を巻いておるので
(だいたい肯定で終わる)
そんなヘルメット 効果絶大なんでないかい
人間有効性局さーん
ここにいいサンプルがおりますよー
 
 
まあこれもどちらがいいのかはわかりません。
ここまでも ろくろを回してる時の雑音で
思いついたことだし。
ろくろ中は雑音だらけでございます。
私の集中状態は頭の中で余計なことを次々考えて
手の方は勝手に動いてくれている時ですね。
その状態は疲れるのであまり長続きはしませんが。
 
 
その研究が進んで、もし市販されたら
その集中状態というものがどんなものか
是非とも試してみたいです。
もうそのヘルメットなしでは
いられなくなるんじゃないかしら。
 
集中力や感情をコントロールできるようになったら
労働が快楽に変わって、
一方で娯楽の定義がかわりそうですね。

でも会話とかはつまんなくなりそうな気がします。

ユーモアは不平不満から生まれると言いますから。

 

 

感情のエネルギーともったいない倉庫の話

5月19日 晴れ ときどき くもり

本日のBGM The doors
 
 
何日か前に焼いた電気窯が冷えたので取り出しました

そしてすぐさま目に飛び込んでくるこの流れつき!

釉薬の!アイヤー!!やられちまったぜ!

焼く前の心配は実を結んだようで、

やはり電気窯のコイルが老朽化しているせいで、

温度が低いまま時間だけ長くかかってしまった

そんな感じの焼けすぎな状態です。

棚板まで流れ着いちゃっている上に、

この釉薬には普段でない感じのピンホールが

えらい出てるけど、その割に

色が溶けきった発色ではないので

これは今回の焼け方が

この釉薬と合わなかったんでしょうね。

コイル交換をケチらずにおけばこんなことには、、!

でももう窯自体がイカれつつあるから

どうせ変えるなら新しい窯を!

と思うけど しかし

そんなもん買える台所事情であろうはずがない!

庚申窯は存続できているのがおかしいくらいの台所なのですから!

というわけで、

万全の電気窯はしばらく手に入らないので

これは釉薬を調整するか

灯油窯の方で焼くかですね。

割とどちらも行けそうな算段はついているので

あとはチャレンジするのみ!

失敗?そんなもんは陶芸にはつきものさ!

あっはっはー!

そうなのです。

焼き物作りは常にトライアンドエラー。

特に庚申窯のいい感じの釉薬は

台所事情と同じく

微妙なバランスで成り立っているので

失敗も多いのです。

今回みたいに完全に失敗することもあれば

なんか色がパッとしない

というような地味な失敗のパターンもあります。

私は繰り返しの失敗を経てきたおかげで

このような時はむしろ

「上等じゃねーかい!んにゃろめい!

ダメになった倍の数作ったるわい!」

と やる気 元気 いわきモードに突入します。

怒りというのは大変効率の良いエネルギーなのです。

あと締め切り。

人間は感情の生き物なので

理性でどうこうする時よりも

感情の乗っかった時のパフォーマンスは

「そんなにやれる子だっけ!?」

と 自分でもびっくりするくらいの馬力がありますから

この感情の見極めが

何をやるにも重要であると思います。

馬力が強い分 暴れ馬のようなものなので

きちんと目的地に辿り着けるかはわかりませんが、

それを含めてうまく付き合うことが肝要ですね。

理性のエネルギー効率だと

やっぱり人力って感じですもの。

もちろん理性によって制御された状態で

80点くらいの仕事をやり続けるのが

プロフェッショナルだと思うので、

こちらの方は訓練が必要ですね。

ま でも今回は水色の小皿がダメになっただけで

↓こっちの色の方は、今の電気窯の状態でも

いい具合に焼けています。

たぶん緑青(ろくしょう)は高温度帯でゆっくり焼かれると

いい色になると思います。

形を変更したこの丼も↓

普通の形だったら緑が流れすぎなのですが、

足を高くして、腰を絞った形のおかげで

むしろこのくらいの方が

押し出しが強くて良い感じだと思います。

あと小皿では全滅だった水色の釉薬も

丼の方はまあまあな出来で、

流れつかない形にしたおかげで

釉薬の垂れたところが有機的な形になって

器のアクセントになっています。

おかげでめちゃくちゃ釉薬の玉できたけど。

いっぱいできるから やはりこの玉の

使い道を考えた方がいいかもしれませんな。

今回目立った被害は水色の小皿だけだったので、

そんなにひどい失敗ではなかったようです。

まあ小皿の枚数分の制作時間が

無に帰したわけですけども。

売り物になれなかった傷だらけの天使たちは

工房すぐ横の

失敗作たちの置き場にしばらくおかれます。

これは私の中で作った気持ちが

成仏するまでのあいだ置いておいて、

もう十分だと感じたら庭の奥の

物原(ものはら:失敗した焼き物をわんさか捨ててるところ)

に捨てに行くという流れになります。

ところが

捨てる神あれば拾う神あり

ということで

この失敗作に何かしらで使い道を見いだした人が

持って行ってくれたりもします。

そのうちの何割かはうちの祖母ですが。

そういえば私が通っていた横浜国立大学にも

もったいない倉庫という、

いらなくなったものを捨てておくと

欲しい人は勝手に持って行っていい、

というなかなか持続可能な感じの場所があって

私はイーゼルやらトランペットやら

その倉庫からいただいたりしたのですが、

失敗作たちの溜まり場も

同じような機能になっていますね。

そんなもったいない倉庫は私が四年生の時に

なぜか廃止になってしまいました。

んーもったいない。

なぜだったのかしら。

いいアイデアだと思うのに。

もし街にそんな場所があったら

出不精の私でも定期的に通ってしまいますね。

そういうのって行政では難しそうだから

やはり個人でやるしかないのかしら。

庚申窯は既に親戚たちの

いらないもののターミナルにはなっていますけど。

 

 

感情代行業者と夕凪の話

5月20日 晴れ

本日のBGM BLAZE

福岡県の緊急事態宣言が解除されたのを受けて、くろつる屋の管理人 めい が子供と一緒に庚申窯にやってきました。私の妹めいの子だから姪っ子ですね。わかりやすいような ややこしいような。

画像1

その姪っ子Y氏↑が来てるからってことで、近場に住んでいる親戚たちも庚申窯にやって来て、ワイ氏を肴に賑わっておりました。

ワイ氏にはぜひとも親戚一同から存分に甘やかされて、顔つきからして生意気そうな こまっしゃくれたガキに成長していただきたいと思っているのですが、

んなこと言いつつも子供はやはりいいもんで、いいとは言うけどそんなまた曖昧な、その理由はなんでい はっきりしろい!

なんて突き詰めるのは野暮ってもんかもしれませんが、野暮にならなきゃここから先は ワイ氏のブロマイドを並べて、いいのぉ〜 ういやつじゃ ういうい、なんて言うより他なくなってしまうので ここはひとつ野暮でいかせていただきます。

画像2

猫とワイ氏。ういういうい。

子供を見て気持ちが高揚したり、一緒にいて楽しかったりする理由というのは、生物学的にとか文化人類学的にとかで色々とありそうですが、こういう面もあるんじゃないかな と今日思ったのは、子供は感情の代行業者なのではないか、ということです。

ていうのも不肖高鶴裕太29歳、好奇心が押さえきれなくて駆け出すなんてことはここしばらくありませんし、犬猫を見かけて雄叫びを上げることもありません。

オムツが気持ち悪いからズボンごと脱ごうとしたら2枚いっぺんにやるもんだから足首で抜けなくなって それを無理くり外そうと もがいているうちに足首が変な形でロックされて 自分ではどうしようもなくなってしまい助けを求めて泣き叫ぶというようなこともなくなって久しいのですが、

子供たちは出会う物事にいちいち感情が大きくうねっていて、楽しいも嫌だもメーターいっぱい振り切ってる感じ。

一方で私のような人間は 夕凪の瀬戸内海のような心持ちで毎日を過ごしているため、彼らのあの剥き出しの感情に惹かれる部分があって、一緒にいることでその感情や 物事に対する新鮮さを共有しているのではないかと思うのです。

画像3

そんな子供の激しい感情とは反対に、実際のところ子供たちに起きている事件は、私にとってそのほとんどが簡単に解決できるものだから、安心して感情を共有していられるというのが、これまた心地いいのではないでしょうか。

子供たちがつまづいてしまうほとんどのことは、我々はスマートにこなせちゃうし、子供たちが初めて見るものは見飽きてるし、子供が理解しようとする物事の仕組みも当たり前の知識として持っている。

ということは できることや知ってることが増えていくほどに、感情の波が起こりにくくなってしまうということでしょうか。

んーそれはつまり何かを手に入れたら何かを失うっちゅーやつですかいな。そういうのはゴリゴリな成功者になって自虐的に嘯いてみたいものですね。

「ふう、全ての夢が叶ってしまった。なんて退屈なんだ。。あふん。」みたいなアンニュイ多めで。

夢は叶えるまでが楽しいみたいに、子供もできるようになるまでの成長の過程が楽しくて、できることが当たり前になるとつまんなくなるということでしょうか。

そう考えると私の焼き物作りは できないことだらけなのでしばらくは楽しんで行けそうですね。いやでもさっさとできるようになりたいですけどね。いやそれができるようになったらつまんなくなって。。いややっぱり一刻も早くスキルを。。いやその焦ってる状態こそが楽しい。。いや。。。

画像4

だんご虫リレーの様子。ワイ氏は虫もイケるようです。

画像5

高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目

 

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