あがの焼窯元 庚申窯(こうしんがま)

最新情報

陶芸体験のや周辺のニュースをお伝えします。

5/7〜5/13の日記

2020.05.15

コウヅルユウタです。

この日記は庚申窯のオンラインショップ

「くろつる屋」のブログを

1週間分まとめたものです。

 

もうそろそろ前に何を書いたのか忘れてきてるから

だんだんと同じようなことを書くようになると思います。

人生は繰り返しなのです。

愛を持って見ていただければ。

 

5/7 唐種召霊と甕の話

5/8 スチロール菜園と抹茶碗の話

5/9 風と循環の話

5/10 睡蓮とコバックスの話

5/11 素焼き窯とオクタゴンの話

5/12 さし板気分と非計画性の話

5/13 紫露草と空気圧縮機の話

 

くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。

 

 

 

唐種召霊と甕の話

 

5月7日 快晴

本日のBGM Curtis Lee
 
 
くろつる屋の白いバックの写真は
いつも庚申窯の2階で撮っているのですが
今日も天気が良かったので
その2階からの風景を。
 
 
私の名前が高鶴裕太なのですが、
向かいの建物には庚申窯の本家である
高鶴窯があります。
 
 
焼き物の窯元は長男しか継げない
みたいな風習が昔はあったので、
末っ子だった私の祖父は高鶴窯から分離して
なかなか近いところに庚申窯を築きました。
いま庚申窯がある場所はもともと
高鶴窯の持ってた田んぼだったみたいですね。
 
 
写真の菜の花が生えてるところも
何年か前までは田んぼでしたが、
今ではレンタル畑になっているみたいです。
いつも何か作っていますが、今の時期は
特に何もないのか、放置された感じに。
 
 
 
そのレンタル畑と庚申窯の境の石垣に
高さ1m半くらいの木があって、
なかなかよい感じの花をつけていました。
何か密教で使われそうな武器みたいでかっくいい。
調べたらカラタネオガタマという木なんだそうです。
漢字で書くと唐種招霊。かっくいー。
 
バナナのような香りがするというので
嗅いでみましたが、例によって特に何も匂わず、
やはり私の嗅覚がどうかしてるのでしょうな。
 
そもそもバナナって香るんだっけ?
と思いましたが
そう言えばスケボーで使うワックスが
バナナの匂いだったな と思い出して、
そう言えばあのワックスのバナナのイラストは
ヴェルヴェットアンダーグラウンド&ニコの
ジャケットが元ネタなのかしら と思ったりして、
そう言えば以前フランス人の
女の子が見学に来た時に
femme fataleがスピーカーから流れてて、
「ファムファタールは悪くて魅力的な女の人のことなんですよ」
と教えてくれたことを思い出したりしました。
 
 
 
 
今日も粘土を作っていましたが、
ここ最近は午前中に粘土を作って、
夕方以降で器を作るというのが
1日の流れになっています。
 
今日は荒土を作ってて
荒土は濾過する網目が大きいので
砂が混じる、荒々しい感じの粘土になります。
昔の陶器とかのイメージですかね。
 
私はきめ細かい土よりも
荒土で器を作る方が好みです。
出来上がりはどちらも
それぞれの良さがありますけどね。
 
 
その荒土を作るのに陶器のカメを使ってまして、
漢字で書くと甕、で このカメは昭和の終わり頃に
もうどこの家庭も使わなくなって
在庫処分ということで
島根とか唐津にあるカメの産地から
行商人みたいなのがトラックに積んで持ってきて、
それを一つ1,000円とかで買ったものだそうです。
 
大きいのはもうちょっと高かったそうですが
それでも安いですよね。
 
 
ちなみにこのカメは島根の方がちょっと弱くて
唐津の方が頑丈です。
写真の真ん中2つが唐津で、両端が島根ですね。
 
なので撹拌器を使うなら唐津の方がいいのですが、
今あるのはほとんど島根のカメばかりなので
ほとんど どこかしら割れてたり
ヒビが入っていたりします。
それでも針金とかで締めてあげれば使えるので、
崩れるギリギリまで働いてもらう所存です。
 
 
今ではリサイクルショップや
蚤の市なんかでたまに見かけるので
いい感じで安かったら買いますね。
まあそりゃそうか。
置き場所には困らないし、実用性もあるので
こういうのを残しておくのも
焼き物屋の一つの役割ではないでしょうか。

 

 

スチロール菜園と抹茶碗の話

 

 

5月8日 快晴

本日のBGM Alvin Robinson
 
庚申窯には昔職人さんが何人かいたので
その時の名残で小さい食堂があり、
昼食と夕食はその食堂を使います。
 
お昼ご飯の担当は現在 祖母と父なのですが
今日は祖母がいないので、代わりに私が、
ということにはならず父が一人で作っていました。
私は食べるだけですね。
 
 
でも少しだけ労を割いて、食堂の横の庭にある
発泡スチロール菜園のネギを収穫したりしました。
 
 
こちらは祖母が育てているもので、
ネギやベビーリーフのパックに入ってそうな
サラダに入れると大変見栄えのするやつなどが
植えられています。
上の写真で網がかぶせられているのは
 
 
この猫どもが土を掘り返して
用を足してしまうのを防ぐためです。
同様の理由で乾かした粘土のストックにも
シートをかけています。
 
 
私が陶芸を始める以前のことですが、
猫の糞が紛れ込んだ粘土を
分からずに使ってしまうと
作り出してからめちゃくちゃくさい臭いを
放ち出すのだそうです。
今は対策のおかげでそんなことありませんが
その当時はそれを焼いて売ってたということよね。
まあ焼いたらほとんどの成分は蒸発するけども。
 
 
私はいくつかの調味料や薬味などで
できれば大量に摂取したいけれど、
他人の目やコストを気にして量を抑えて
食べているものがいくつかありまして、
 
その一つがネギで、
ネギを無制限に使っていいなら
元の食材が見えなくなるまで
てんこ盛りにしたい所存ですが、
家庭菜園でのおすすめはネギや大葉などの
食べるときに少しだけしか使わないものが
大変便利です。
 
 
ていうのもネギをスーパーで1束買うと
使い切るまでに何日かかかるし、
その間に鮮度も落ちてしまうし、
ネギがあるから、と
作るメニューが絞られてしまったりしますが、
家庭菜園ならば食べるときに食べる分だけ
収穫して使えるので大変無駄がありません。
 
 
常に新鮮だし、一人暮らしの方こそ
薬味系の植物を育てておくのはよいと思います。
私もそのことを一人暮らしの時に知っておけば!
あ、ちなみにバジルはダメですよ。
使わないのにめちゃくちゃ増えるから。
(※個人の意見です)
 
 
上の写真でハサミを入れたところからの
ネギの分量でこれくらいですね。
もうちょっと採っても良かったな。
 
 
今日のお昼は蕎麦でしたが、
この器は私が前に作った抹茶碗で、
釉薬が流れついた失敗作なので自分で使っています。
大振りなので主に麺類や汁物に用いられていますね。
 
 
抹茶碗をいろいろな用途で使うというのは
私の好みなスタイルおよび思想および態度およびーー
なのですが、
大は小を兼ねると言いますから
抹茶碗は大きくていいんじゃないかな!
 
あとコーヒーとかも何十年か前と比べると
現代人は何倍も飲むようになってるんだから、
抹茶だってもう何百年も経ってんだし
そろそろ量が多くなってもいいんじゃないかな!
 
と抹茶碗を作るとついつい大振りになってしまう
私の現状を肯定するための理屈づけでした。
理想と現状とのギャップを埋めるために
理屈は存在すると思っております。
 
 
こちらはなんの野菜なのか作ってる人に
聞いても分からなかった
ベビーリーフの一員みたいなやつ。
採れたてほやほやですね。
 
 
 
この類も買うと高くつくから
育てるのはありだと思います。
葉っぱが小さいから切らずにそのまま使えるし。
 
 
特にサラダって新鮮なほどいいと思うし、
「美味しんぼ」でも食べ物によって
個人の心の葛藤や、人間関係や、国際問題などを解決する際にも、
天然で、旬で、採れたての食材が
だいたいこじれた話を解決してくれますので、
新鮮なことに越したことはないのです。
 
 
レタスなんて一玉買ってしまった暁には
次の日にサラダの気分で無くなったら困るから
自分の気持ちをサラダ気分に持って行かなきゃならない、
ひいては自分に嘘をつく、
ストレスがかかる、
寿命が縮む、
ということで
家庭菜園は長生きの秘訣であります。
 
自分の押し通したいイデオロギーと現実を
つなげるのが理屈だと思っております。
まあ暴論ともいいますけど。
 
 
 
 
風と循環の話
 
 

5月9日 くもりのち雨

本日のBGM Lali Puna
 
 
本日は風の強い日でした。
庚申窯は地形的に風の通り道なので
ことさら風が強いのですが、
私は小さい頃大好きだったけど
大きくなって嫌いになったものがいくつかあって
その一つが「風」です。
 
 
今日の午前中は生暖かく湿った風が吹いて
午後から雨になったのですが、
子供の頃 そんな風が吹く日は無性に心躍り
夏の台風なんかは狂喜して表を駆け回ったものですが、
 
現在ではそんな風も疎ましく、
それはなぜかと考えてみると
風というのは創作と相性が悪いのではないか
と思うに至りました。
ひいては創作物とも相性が悪いのではないかしらん。
 
 
初めて風に対して敵意を持ったのは
スプレー缶で絵を描いていた時に
風でスプレーが流されて
思うところに色が乗らない、
色がついてはいけないところに
インクが飛んでしまったり
顔にかかったり というので
風うっとおしいわ〜  と思ったのが最初です。
 
 
焼き物を作りだしてからも、風が強いと
作った器が乾きすぎてダメになるとか、
スプレーガンで釉薬をかけている時に
釉薬が流されて作業が進まないとか、
素焼きの器が飛ばされて割れてしまうとか、
粘土に雨が入らないようにかぶせてある
トタンが飛んでいってしまうなど
思い起こせば風害が多いこと。
 
↑トタンの下に粘土があります。鉄骨が重しですね。
 
 
中でもトタンには大変苦労させられまして、
夜中に寝ていると風と雨が強くなって
外からトタンが飛んでいく
ガランガランバタンジャリジャリジャリギイイ
みたいな音が聞こえると
「ぁぁぁ〜〜」などと呻きながら目を覚まし、
雨に打たれながらトタンを回収して
再度飛ばないよう重しを見つけて回るというのを
何度か繰り返した私が風を嫌いになってしまうのも
無理からぬこと。
 
 
風が嫌いというので思い出したのが高校の時の
同級生で、彼は髪のセットが崩れるからと
風が吹くたびに悪態をついていました。
 
その頃まだ風が大好きだった私は
風が嫌いだなんてあるの!?と驚き、
ファイナルファンタジーの主人公のような
彼の髪型が風に吹かれたところで、
私を含めた周囲からの印象はさほど変わらない
という事実もあって
その時の私には風を嫌う気持ちというものが
理解できなかったのですが、
私も彼に遅れること10数年、
ようやっとその境地にたどり着いたようです。いえい
 
 
落ち葉とかゴミを飛ばしたり、端に寄せてくれるのは風のいいところですね。
 
 
そんな風は物語などで出てくる時、
自由の象徴だったり、革新を表すものとして登場します。
 
物語の多くがそれらを求める内容でもあるので
自由や革新は善なるものとして捉えられがちですが、
革新というのは常に破壊がともない、
自由もまた、それを迷惑がる人だっています。
 
 
それらから風について考えると
風の本質とは「循環」なのではないでしょうか。
 
それはものを遠くへ飛ばすという意味もそうですが、
風化という言葉もあるように
物質を解きほぐして、小さな材料に戻して
また地球に広く戻していくという作用で、
言い換えるなら生まれ変わりやリセットであり、
固定されたものを許さないという態度なのです。
 
 
一方で、ほとんどの創作物というのは
自然にあった材料に手を加えて
作り手の望む機能を持つ形に固定された存在で、
風はそれを絶えず分解して
循環させようとしてくるのだから
これはもう相性が悪いというかほとんど敵です。
 
 
でも創作において
分解は飛躍をもたらすこともあって、
 
例えばイリノイ州シカゴ市は
ウィンディシティと言われるくらい
風が強いことで有名ですが、
1871年に火事と強風が重なり
火災旋風となってシカゴの街が
一晩で焼け野原になってしまいました。
 
この火事による被害は甚大なものでしたが、
その後ゼロからの都市づくりで
世界中のあらゆる建築家たちがシカゴに集まり、
都市デザインや高層ビルで大いに実験し、
シカゴ派というジャンルができるくらい
建築学が発展しました。
破壊と創造のお手本みたいな事例ですね。
 
 
ウィキペディアより
 
 
このように風の作用とは分解や破壊であり
その後また新たにものを作るかどうかは
生き物側の努力次第、
つまり風ってえやつはやりたい放題やって
トンズラする ろくでなしの太え野郎なのです。
 
 
ということで現在の私には
友人の髪型みたいに、
焼き物を作るスタイルとか
つみ上げた暮らしとか
やらなければならない役割など
固定された持ちものが増えたことで
風による分解を拒むようになったのでしょうね。
 
何も持たなければ、あるいは捨て去る覚悟があれば
自由も革新も受け入れられそうですが
それは年齢と共に難しくなっていきそうです。
もし持ってるもの全部捨てちゃったら
自分がどういう人間かわからなくなりそうだし。
 
しかし風がいかに酷いものなのかと
書こうとしたら、破壊と再生とか
物づくりのプラスになりそうな面が出てきてしまって
むしろ私がそれを受け入れられない
保守的な小物みたいになっているじゃあないか。
否定できないけど。
 
もしかしたら向かい風を受けることでしか
さらに高く飛ぶことはできないのかもしれませんね。
 
 
 
 
 
 
睡蓮とコバックスの話
 
 

5月10日 くもりのち雨

本日のBGM Carole Bayer Sager
 
 
もうそんな季節になったのか
今日は睡蓮が咲いていました。
雨の中の睡蓮てのも乙なもんですね。
 
 
まあ私は今までハスと睡蓮の違いが
わかっていなかったのですが、
と言うかこれも今までハスだと思ってたのだけど
両者の違いの一つに
葉っぱが水をはじくかどうか
というのがあって、
睡蓮の方は水をはじかないそうですが
雨の日に関していえば
水をはじかない睡蓮の方が情緒があって
絵的に優れているのではないでしょうか。
 
 
この鉢も焼き物の鉢で
カラカラにならないように
水を足す以外は
完全に放置してるのですが、
毎年この時期になるとちゃんと花を咲かせるので
この自立した感じが大変よいですね。
なんと言うか無理してない感じと、鉢の中で
自己完結してるような所がポイント高いです。
鉢だと余計には広がらないしね。
 
 
 
さて今日はテンションの上がらない作業上位の
「ペーパーがけ」というのをしております。
 
 
ペーパーがけというのは
器が乾燥した段階、
または素焼きをした後で
器のギザギザしてる部分に紙やすりを当てて
滑らかにしていくという作業です。
けっこう作ったものの量がたまっていたので
今日はこればかりですね。
 
 
写真で見ると
こんな風なのを
 
こんな感じのサンドペーパーを使用して
 
こんな風に滑らかにする作業です。
 
 
こういうカップとかの取っ手がついたものは、
ペーパーがけするのがとっても面倒です。
というか面倒に感じる が正しいですね。
 
実際にペーパーがけ めんどくささチャンピオンは
香炉になりますが、香炉くらいになると
いっちょやったろかい!
と それほど面倒には思わないので
カップくらいが一番うっとうしく感じます。
カップ作るのがそもそもめんどいですもんねー
出来上がりは好きなんですけど。
まあ面倒に感じるというのは
丁寧さの裏返しと思っていただければ。れば。
 
 
ちなみにこちら形はカップですが、正確には鍋用の器でございます。というか水炊き用になるのかしら。ポン酢とか少なくてすむ形ということで。
 
 
 
ペーパーがけの主役サンドペーパーにも
いくつか種類があって、
私の中でのペーパーチャンピオンは
このKOVAX クロスAロールベルト AFJW P120です
 
 
こいつはたまらないぜ!
ベースが布なので曲面にフィットしやすく、
使い込むほどに柔らかく馴染んでくるのに、
研磨剤部分の構造が目詰まりしにくくなっていて
くたくたになっても
削る力は残っているという優れものです。
 
他のものに比べて使いやすいのに長持ちするという
他を圧倒的に引き離す商品なのです。
あと裏面のマークがちょうどいい具合にかっこいい
 
 
もしかしたら
もっといいペーパーがあるのかもしれませんが、
今までも
これはどうかな?
と試してみて
やっぱりコバックスにはかなわねーぜ! と
確認するだけのことにしかならなかったし、
 
よりよく、より便利になんて追求しすぎるのは
文明を暴走させてしまうことになると思いますので
地球を愛する私はコバックスで思考停止するのであります。
アイラブコバックス!
 
 
このお皿もたまってるので今日削っていて、
こういうシンプルなのって
基本的には削るのが楽なのですが、
曲線が良くない時とかは シンプル故に
削って修正するのは大変ですね。
 
 
ペーパーがけはめんどいですが
きちんとやっていないと
粗が目立ってしまうので、
わりかし丁寧にやってる作業です。
その丁寧というのがめんどくさいのかもしれませんが。
 
 
これをやることで
器が目立って格好良くなるわけではなく、
むしろ器を使う上で
意識せずに心地よく使ってもらうための作業で、
気づかれないということがいい仕事みたいな。
 
こういうのをこっそりやってたら
ダンディズムに突入できそうですが
そういうことは一番に自分で言ってしまうので
その度にダンディの門は閉ざされるんでしょうね。
ダンディむずいぜ。
ダンディ〜かたぎ 粋〜なもの ♩
 
 
 
 
素焼き窯とオクタゴンの話
 
 

5月11日 快晴

本日のBGM Carpenters 
 
 
朝起きたら天気がよかったので
昨日の時点でまだ乾き切っていなかった
小皿を天日干しに。
 
 
水分が残っている状態で焼いちゃうと
温度が上がった時に破裂してしまうので
焼く前はしっかり乾かす必要があります。
 
まあでもこのくらいの小皿なら
焼いてるうちに水分が抜けたりもするけど、
天日干しするのには
ちゃんと乾かしたから大丈夫と
自分を安心させてあげる効果もあります。
 
 
素焼きする窯は決まっていて
庚申窯ではこの八角形の小型の窯が
素焼き専用で動いています。
 
 
この窯は趣味で陶芸をされてた方が
亡くなられて、その奥さんから
もう使わないので引き取って欲しい
ということで庚申窯に来たものです。
 
この八角形式というのは業者の人に聞いたところ
アメリカなどではこの方式が多いそうで、
かなりでかい窯でもこのスタイルだから
窯に焼き物を詰めていくのに
常に腰をこごめた状態になるので
陶芸家の消耗品である腰が
すごく痛くなるということでした。
 
合理的な国だから それ以上の利点が
何かあるんでしょうね。
ちなみに日本は前開き式が主流だそうです。
 
膝上くらいまでしかないからかなり小さいです。
 
 
この電気窯が来たときは
「ちょっとの量で焼けるからいろいろ実験できるぞ」
と思ったのですが、
またしても業者の人に聞いたところ
この窯に使われている電熱線がかなり細く、
この電熱線で1200度とかまであげちゃうと
すぐに線がダメになって
温度が上がらなくなるとのこと。
 
実際にこの窯の電熱線も一度ダメになって
すでに張り替えられていたようでした。
 
 
じゃあ太い線に張り替えたらいいんじゃないの
と聞いたら、
この窯はレンガの溝の幅が狭いから
これ以上太い電熱線は使えないとのこと。
 
なのでこの窯は本焼きするごとに
どんどん性能が下がっていくということだから
800度までしかあげない素焼き専用になりました。
1000度超えなければ電熱線は
かなり長持ちするのだそうです。
 
窯の購入を検討されている方は
電熱線の太さをチェックされると
良いかもしれませんね。特に中古。
ていうか窯買うよりも どっかの窯元に
頼んで焼いてもらった方が
きっと安上がりですけどね。
清酒で話がつきますよ。
 
 
素焼き専用なので窯の耐用年数は
それほど計算に入れないとしても
電気代はかかりますから
一度に焼く量は多くしたいものです。
こんな風に綺麗に重なるやつだと
素焼きの窯つめは大変しやすいですね。
 
それに器も重なるもののほうが
収納にも良いですから、
まずは重なることを条件に
形を決めていこうと思いました
今年から。
今までは形優先でしたけど
機能性が優れたものは
長く使われるなあと思いまして。
 
 
こういう上からフタを閉めるタイプの窯は
最後に器が飛び出してないかチェックしてから
フタを閉めます。
飛び出してたら圧迫されて割れますからね。
 
実際に肉眼で見ると、
中に入れたものの方が
上にせり上がって見えるので、
このチェックは
もうちょっと入るよ っていう
ためのものでもあります。
このお皿の高さだと
一枚分くらい見誤りますね。
 
 
蓋をして電源を入れますが、
器の水分や窯の中の湿気は
ゼロではないので
200度くらいまでこのように
隙間を開けて蒸気を逃してあげます。
そうすると温度が上がりやすくなりますし、
窯も長持ちするようになります。
たまにそのまま800度まで忘れてたりするけど。
 
 
腰の負担になるのはいただけませんが
見た目としてはこの八角形の窯は結構好きなので
長く使っていきたいですね。
 
ちなみに八角形はオクタゴン、
オクトはラテン語の「8」で
オクトパス(タコ)やオクターブ(8度音程)も
同じ由来ですが、
オクトーバーも8から来ています。
でもオクトーバーは10月。
なぜなのか。
 
 
それは古代ローマでは暦というのは
今の3月から12月までしかなく
1番目の月から10番目の月という暦だったので
現在の10月というのは
8番目の月だったのですね。
 
なぜ1月2月がなかったのかというと
「この寒くて作物も育たない冬ってのは
なんてつまらないんだ!こんなしょうむない時期に
日付なんて必要ないわい!」
ってことで今の3月スタートだったそうです。
 
 
いやーその価値観は私は多いに歓迎ですけどね。
1月2月はもうなるべく寝て過ごす時期みたいな。
自然に左右される生活をしてると
そのような価値観になるのかもしれません。
これからの時期が私は好きですね。
 
 
 
 
 
さし板気分と非計画性の話
 
 

5月12日 快晴

本日のBGM Laura Nyro
 
 
オクタゴンの温度が冷えたので窯出し。
62度くらいなら問題なく取り出せます。
 
 
素焼きの取り出しは
200度くらいで取り出しても
器自体に問題はありませんが、
ヤケドすることもあるので
100度以下になるまで
フタを少し開けて空気を冷ましてあげます。
今回は時間が空いたのでフタを閉めたままで
温度が下がっていましたが、60度くらいでも
手袋がないとちょっと熱いですね。
 
 
 
素焼きは問題なく焼けていたようです。
ところでこの八角形というのは
円を敷き詰めていくのにいい形なのだろうか。
いつも微妙な隙間が空いて気持ち悪いのですが。
 
こういう微妙な隙間に置けるような小型のものを
同時に作っておくといいんですけどね。
こういうのとか↓
ちなみにこの系統のやつは全て母の作ったものになります。
 
 
 
素焼きで取り出した器は、
私の場合また「さし板」に乗せます。
さし板っていうのは 器を乗せて持ち運びする
細長い板のことで、これをさす棚があるから
さし板と言うのでしょうたぶん。
 
 
私の場合かける釉薬がいちいち違ったりするので
どの板にどの釉薬を、
ていうのを事前に把握するために
最初から全てさし板に乗せて
かける釉薬を全て決めてから
くすりかけの作業に取り掛かります。
 
 
ひとつの窯でも
上の方と下の方で温度帯がちがうので
そのバランスを取るためにも、
全体の釉薬の種類と量を
一番最初に決めるためでもありますね。
 
 
父の場合はこんな感じの箱に全て入れて
持ち運びします↓
 
側面にコック帽で片目が隠れた内股の少年と
「リョーユーパン」と言う文字が入っているので
かつてはパンを運ぶコンテナだったんでしょうね。
不用品となったものをもらったんでしょうけど
めちゃくちゃ丈夫です。
裏返しに並べてマット敷いたら
ベッドになるくらい丈夫です。
 
 
かける釉薬が決まっているなら
このように一つにまとめて運ぶ方が
効率はいいと思います。
 
私が全部さし板に乗せるのは
リングに上がらせる的な意味合いが強く
効率というより気分的にさし板で運ぶ方が
釉薬をかける気持ちが作りやすい
ってところがありますね。
出動態勢に入ってて いつでも行けまっせー
みたいな。
 
 
そして さし板をさす棚がこちら。
 
もう棚の柱が斜めってるし
ちょっと押したらゆらゆらするので
緊張感を持って仕事に臨めること請け合いです。
 
他の仕事場に行った時に
どこもこの棚が立派で大きいので
ちょっと羨ましいですね。
 
この大きさだと私と父の二人でも
スペースが足りなくなってしまいますが、
だからと言って新たに棚を作るなどという
大それたことは考えることすら はばかられるので
地震などで倒れて痛い目を見るまで
このままでいきたいと思います。
リスクをヘッジしないタイプの
充実したライフスタイルですね。
 
まあでもゆらゆらした方が
五重塔みたいに揺れをうまく逃して
案外長持ちするんじゃねーの。
 
 
 
空いた窯にはまだ温度が残っているうちに
次の一群を入れていきます。
やっぱり八角形微妙に隙間が空いてしまうなあ。
 
この場合だと真ん中に背の高い花瓶などあれば
ちょうどよかったのですが、
あいにく このお皿以下の 径のものがなかったので
この状態でスイッチオン。
 
予めこの隙間に合わせた形を作っておけば
いいのですが、そんな計画的なことができてたら
苦労しませんで、大変場当たり的に生きております。
好きな言葉はカルペディエム!
またローマネタですな。
 
 
 
 
 
紫露草と空気圧縮機の話
 
 

5月13日 快晴

本日のBGM XXXTENTACION
 
 
薪窯がある掘建て小屋の前に小さい花壇があって
その時々で咲いてるものが違うのですが
今日はこの紫色の強い花が咲いていました。
調べてみたらムラサキツユクサというそうです。
 
 
ムラサキツユクサは漢字で書くと「紫露草」
大変 和っぽい名前ですが原産は北アメリカだそうで、
咲いた花は1日でしぼんで
次の日はまた別の花が咲くというスンポーなんだとか。
 
そんな様子からつけられた花言葉が
「ひとときの幸せ」
意味のわからん花言葉に比べたら納得しやすいですね。
 
まあ花言葉というのも
花の方で喋らないのをいいことに
勝手なイメージを押し付けてる
人間の傲慢さのなせる所業なわけで、
てことは誰がつけたって構わないんだから
お気に入りの花に自分のオリジナルで
花言葉を作って、ネット上に10か所くらい
その花言葉を書いておったら
いつの間にか事実になるんじゃないかしらん。
 
出典の根拠って3~4個くらい見たら
「事実!」って思っちゃうし。
マイナーなやつから始めるとバレにくいかと。
あ でも有名なやつはまた
えらいいっぱい花言葉持たされてるから
有名なやつでも大丈夫だな。
花言葉乱造キャンペーン。
花言葉に権威団体ができる前に!
 
 
 
さてこちら この間ペーパーがけのあと素焼きした
小皿ですが、削った際の粉が素焼き後も残っております。
 
これから釉薬をかけるのに この粉が残っていると
釉薬を弾いたり 気泡の元になったり、
釉薬の方に粘土の成分が混じって
色が変わったりするので
最初にこれを掃除してあげます。
その掃除方法は風で吹き飛ばすというもので、
使いまするはこの空気圧縮機
通称「コンプレッサー」です。
 
 
詳しい構造はわからないのですが、私なりに説明すると
これはとにかく空気を吸い込めるだけ吸い込んで
ぱつんぱつんになってる風船のようなもので、
容器に弾力性がないから このサイズのまま
中に何倍もの空気を圧縮して溜めておける機械です。
 
その空気を飛ばすのがこちらのスプレーガン
 
引き金を引くと空気を発射できます。
空気のパゥワーは調整可能で、
右側についている筒に液体を入れると
液体をスプレー状に発射してくれます。
普段はここに釉薬を入れて
釉薬の吹き付け作業に使いますね。
 
筒が空の状態では空気だけ飛ばせるので
その風で削り粉を吹き飛ばします。
 
 
吹き飛ばした後がこんな感じ。
粉だけでなく家電やカーペットにたまった
ホコリなども吹き飛ばせますし、
タイヤに空気を入れられて
水を入れれば高圧洗浄機にもなります。
もうコンプレッサーなしの生活は考えられない。。
 
このコンプレッサーは局所的には
かなりの風圧があり、
粉をきれいに吹き飛ばしてくれるのですが、
それでもこのお皿の表面を撫でてみると
サラサラした粉が指につきます。
つまり風で吹き飛ぶ粉にも
ある程度の大きさが必要ということで、
一定よりも小さくなると、風をうける圧力よりも
ものにくっつく力の方が強くなるんでしょうな。
 
このくらいだったら もうあまり関係はない(はず)
だから くすりかけに移行します。
もしこの小さな粉も取りたい場合は
水で洗うと取れますが、
今度はその水でも取れない小ささの粉があって、
サイズが変わると法則が変わるというのを
体感できますね。
そしてペーパーがけという何気ない作業で
そんな細かい物質を量産していたと考えると
これまた感慨深いものがあります。
 
 
 
かける釉薬はさし板にチョークで番号を書きます。
私は釉薬を自分で勝手につけた番号で把握しておるので
庚申窯のHPでは この番号で焼き物の説明もしています。
だって同じ釉薬でも発色が全然違うことが多くて、
それを色で説明するのがめんどいのだもの。
こっちも704あれも704。
それでいいじゃないかい。
ちなみにこの704+はワラ白釉に緑青流しのやつです。
 
 
釉薬がけは基本的に日のでている時間しかできず
今日は終わらなかったのでまた明日。
 

 

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