7/23~7/29までの日記
2020.08.02
コウヅルユウタです。
この日記は庚申窯のオンラインショップ
「くろつる屋」のブログを
1週間分まとめたものです。
7/23 お茶を飲むための器と爽やかブルーの話
7/24 父の料理と場所移動した猫の話
7/25 清潔ボディな子猫と猫砂の話
7/26 コーヒーカップの取っ手と石膏型の話
7/27 アブの美しい瞳とシマウマの縞模様の話
7/28 祖母とネットフリックスの話
7/29 星と多すぎる選択肢の話
7月30日に子猫が死んでしまいましたから、この週の私はそれを知らない訳で、その状態は大変に幸福で能天気であると言えるんですけど、
もし子猫が死ななくて、無事に育って、それから貰ってくれる方に引き渡すことができていたとしたら、この子猫が育った時期のことを単純にいい思い出として、ミッションをクリアしたというような いつも通りの出来事として捉えていたと思います。
じゃあ子猫が死んで、このことに対する思いがより複雑になったことを肯定しているのかと言えば そんなことはなくて、死なない方が良かったし、今でも悲しいのですが、たぶんそうやってバランスを取るような考え方を私はずっとしてきていて、
あまりどちらかに思いこみすぎないようにすることで、精神を自己防衛しているのだと思います。
いろんな価値観の天秤を持つことで、何かの出来事に遭遇したときに、ある天秤はものすごく傾いても、他の天秤がそれを食い止める役割をしてて、落ち込みすぎないように、あるいは浮かれすぎないようになっているのだと思います。
その天秤が出している答えは、猫が死んだことを悲しい思い出にするのも、今後何かに活かすのも自分次第で、何かに活かすことで 子猫が死んだ出来事を意味のあるものにする、
この意味のあるものにするというのは、人間にとって大事な人間や動物が無意味に死んだということが重すぎるんでしょうね。だから猫が死んだことを物語化して、意味をつける事で自分の気持ちを救おうとしているのだと思います。
だから結局 自分のためにやる事であって、猫は猫でたくましく育っていきますから、まずは自分の気持ちを救ってあげることが大事なんじゃないでしょうか。でもたぶんそれは 人や あるいは動物に優しいことをすることが、一番効果的だと思いますね。
くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。
こっち↓の方が確実に読みやすいですよ。
お茶を飲むための器と爽やかブルーの話
7月23日 くもりときどき雨
本日のBGM The Crystals
一昨日くらいに作ったコーヒーカップのボディから何かの芽が生えていまして、この双葉の芽は、屋外で仕込んでいる時の粘土にはちょいちょい生えているんですけど、成形した後の粘土から生えているのは珍しいですね。少なくとも私は初めてです。根性新芽ですね。もちろん抜きますけど。
さて昨日焼いた窯から またいろいろ焼き物が出てきてまして、こちらは「お茶を飲むための器」というお題で今作っているやつなんですけど、今回の焼け具合もまあまあ良い感じです。
小ぶりな湯呑みとソーサーのセットでして、ソーサーとしては主に来客用で、普段使いにはお皿として単体で使えるように、と考えております。
形は庚申窯で昔 作られていた湯呑みの形とサイズをほとんどそのままに再現して、高台だけ、ソーサーで足元が少し隠れる分 高めにしました。
こちらの色はボディが黒釉で、内側と外側の上部だけワラ白釉 という組み合わせで、朝鮮唐津っぽいやつなんですけど、この土には若干ワラ灰の成分が薄かったみたいですね。鉄分が多い土なので ワラの成分が飲み込まれちゃったかなーという感じです。これはこれでいいですけど。
しかし この釉薬の掛け方は、湯呑みとかなら問題ないんですが、お皿だと焼き上がりが かなり平たくなっちゃうみたいですね。
この↑2枚のお皿はもともと同じ形で、上のお皿が通常の釉薬の掛け方、下のお皿が表ワラ白の裏黒釉なんですけど、下の皿の方が かなり平たくなっています。
釉薬は引っ張ったり、焼き物を柔らかくしたり という作用があるので、表裏にかけた釉薬の厚みが違うことで、こんな風にへたっちゃうんでしょうか。まあソーサーとしてなら平たいのもありですけど。
裏がこう↑で、表がこれ↓です。皿の方はワラ白釉の色の出方がちょうどいいんだけど、一部剥離して土肌がむきだしになっていますね。
剥離している方が火口に近かったというのもあるんでしょうが、フチの部分の釉薬のノリが悪くて、つまりエッジのところに釉薬が十分にかかっていなかったので、そのところが剥離しやすかったのかもしれないですね。
これはこれで山みたいな景色が出てて 良いような気はします。でも量産を考えるとどうかしら。朝鮮唐津スタイルの釉薬はこの器のシリーズに加えるかどうか検討中ですね。ちゃんと焼けたらいい色なんですけど。ソーサーは全面ワラ白でもいいかもですね。どうせ裏見ないだろうし。
この丼↓くらいのワラ白釉の焼け具合が、私的にはかなり良いですね。これを毎回出るようにできればいいんですけど、ただ今調整中です。
庚申窯の青は主に酸化銅が色を出してくれているのですが、この青↓ というか水色は、ワラ灰と 粘土の中の鉄分が反応して出してくれているもので、銅による青に比べるとかなり爽やかな色合いです。天然の色感覚に近いような。
お茶の器は4色〜6色くらいのバリエーションを用意したいと思っているので、それぞれの色が揃ったらまた紹介させていただきたいと思います。
あといつものように無意識で作ったこのオブジェもなかなかいい感じです。黒釉が結構手触りがいいんですよね。つるつる とさらさら の中間みたいな感じで。
手の中で転がしたりするのになんか良い形です。マッサージとかリハビリの道具とかになりそうな感じ。そして若干卑猥です。
父の料理と場所移動した猫の話
7月24日 くもり
本日のBGM Róisín Murphy
ただ今 午前4時で、普段私はもうちょいしたら寝るんですけど、父は既に起きていまして、早い時は午前1時とかに起きてたりするんですけど、さっき食堂の前を通りかかったら何やらフライパンでジュージューいわしてて、
さすがにこの時間から食べるわけじゃないと思うので たぶん仕込み系のやつなんでしょうけど、いよいよ料理にハマっておるなあと思いまして、もはや食器を作る時間より料理をしている時間の方が長いんじゃないかしら。
私の性格というのは 物事の価値基準がほとんど自分の内側にあって、いわゆる頑固者というやつなんですけど、父の価値基準は他の人とのつながりの中にあるので、料理を作ることで「人に喜ばれる」というのが この時間から料理をする原動力になるんでしょうね。
と ここらでその料理の写真を載せようと くろつる屋のインスタグラムを見ましたら、父が撮っている料理の写真があんまりよくねえなと思いまして、写真の質は何なら最初の頃より悪くなってんじゃないかしら。
料理をちゃんと作ってるので、写真をしっかり撮ったらもっと見栄えがすると思うんですけど、ちょっともったいないですね。料理の種類によっては俯瞰で撮るよりも横からとかのがいいものもありますし、何より光源でしょうね。
まあでもそれが飾らないスタイルといえばそうなので、そのむき出し感がいいんじゃないかな、などとバランスをとった文言も入れつつ、この間生まれた猫たちが、場所移動したようで、子猫たちはまだ自力で歩けないから親猫が移動させたんですけど、
半分屋内の、春先にツバメが子育てしていた場所で、安全性としてはかなり高いところですね。
朝にキイキイ鳴いてたから こんなところに居やがるのかと気づいたんですけど、その時は親猫がいて、あんまり覗いてるとまた場所移動するかもしれないからと放っておいて、昼に寝て夕方起きてその場所に近づいたらまたキイキイ鳴いてて、
音の場所がちょっとズレてる気がしたので、鳴き声を頼りに荷物をどんどん取り除いて行ったら1匹が 親猫の入れないような荷物の隙間に落ちていまして、やっぱりそれで鳴いていたのかと拾い上げて他に2匹のところに戻して、
半日ほど放っておかれたわけですが、まだ体力がある感じで、さっき確認したらちゃんと3匹揃って寝ていたので無事に生きながらえておるようです。安全かと思いきや思わぬデンジャーがあったみたいですね。
引きで撮るとこんなところですもんね。写真で撮るといかに散らかっているかが分かりますな。猫たちはスケボーの右の隙間の奥にいます。
ちなみにこのスケボーは私が大学生の時に移動手段にしていたもので、スケボーって都会では意外と優れた移動手段なんですけど、田舎では全く使いどころがなくてこんなところに眠っているわけでございます。
裏面は元の絵がなくなったから私がペンキで描いたやつなんですけど、まあ気持ち悪いですよね。今見たら懐かしいっていうよりも、何じゃこりゃ っていう感覚です。
今だったらスケボー に描くなら違う絵を描くだろうなと思って、それは成長なのか それとも老いなのか、なんて思いながら、手の怪我をするといけないので多分もうほとんど乗られることのないこいつらを 猫たちのガードとしてそっと戻しました。
清潔ボディな子猫と猫砂の話
7月25日 くもり
本日のBGM Her’s
今日昼近くに起きたら 姉が帰ってきていまして、それで生まれた猫たちを見たいからと、猫が居着いてる物置スペースを覗いたら白いのが1匹しかいなかったそうで、また親猫が場所変えをしてて、運んでる最中なのかしら、と思ったそうですが しばらく経っても1匹はここにいるままだし、親猫も移動しないし、
昨日 隙間に落ちてた奴は鳴いてたから、ここに落ちているならきっと鳴くわよね、そして2匹とも落ちるかしら、てことは これやられてもうたでおい、イタチかなんかかいな、でもまあ自然のことだし しょうがないかと思いつつ、でも鳴いてないだけでまた落ちてるのかも知らん、ってことで
昨日と同じく荷物をどんどん取り除いて行ったらまた隙間に落ちていまして、2匹とも、それでまた拾い上げて、今度はもう落ちないように段ボールの中に入れて元のスペースに戻しました。
落ちた先で2匹が抱き合って寝てたから、どうも そこがホームと思っちゃって鳴かなかったみたいです。あんまり鳴くのも 他の動物に見つかるかもしれないからリスキーですもんね。また無事に済んでよかったですけど、自然に放置してたら昨日今日でだいぶ淘汰されてますぜ猫さんや。子育ての場所選びは慎重に。
今日で生まれて1週間になりますが、毛がほわほわしてきまして、親猫の毛もフワッとしてる方だから、そういう毛質なんでしょうね。そんな ほわほわ猫たちは かなり綺麗で、うんことかどうなってんだろうと思ったら親猫がなめて綺麗にしているとのことです。そういうことだったのね。
1週間前に比べると親猫もちょっとやつれましたね。子育ては大変だということですな。
こっちが↑1週間前
そんな親猫のうんこはと申しますとすげーくさくてですね、というのもこのスペースは夜になると閉めるから、それで安全なんですけど、夜 外に行けない親猫はこのスペースにあるでっかいゴミ箱、自動販売機の横にあるやつ、の中に入ってうんこしていまして、
ゴミ箱の中でするというのは大変にお行儀がいいなあと思いますが、肉食ならではのKUSAMIがありまして、夜自由に動けるように開けっぱなしにしてもいいけど、一応トイレを作っておきましょうということで、
我が家には仕事柄 砂が大量にありますから、粘土を濾過した際に出る砂のストックを使おうと思ったら連日の雨で砂がベチャベチャで、この↓ドクダミが生えちゃってるところなんですけど、
しょうがないので粘土に混ぜるように乾燥させてあった砂の、濾す前のやつを使いました。
ドクダミの砂山の砂を天日で乾燥させた後、スタンパーで突いてさらさらにした状態のものですね。ここまでの工程なら大したことないのでいいんですけど、この砂は粒の大きさで分けて使うので、目の大きさの異なる網を使って、
細かい網目から始まって、細かい網目に通らなかった砂を次はもう少し粗い網に移して、というのを繰り返して、砂の入った網を延々とふり続けるという、作業工程の中でもやりたくない度いつも上位の網フリ地獄を潜り抜けた後の砂だったら使うのが躊躇われたでしょうね。
その作業は梅雨が明けて、日照りのえぐい時にやると思いますので またその時に紹介させていただきます。
段ボールも大量にあるので、適当な大きさのものに砂を敷いてゴミ箱の前に置いときました。しかしブツは除去したのにまだ匂いが残ってて、こんな匂いならそりゃ猫も消臭したくなるでしょうね。肉食ならではのかほりがしますな。
コーヒーカップの取っ手と石膏型の話
7月26日 くもりときどき晴れ
本日のBGM Edwin Starr
今日はマグカップの高台を削って 取っ手をつける作業をやってまして、まあこれはマグカップというよりはコーヒーカップでして、このコーヒーカップは本来であればもっとずっと前に作っていなければならなかったやつなんですけど、色味がですね、どうもずっとしっくり来てなくて、
それでこの間焼いた丼の水色、この色↓なんですけど、この色だったらいけるんじゃあないかと思って再び作っておる次第で、今回で何度目かの挑戦になります。
このコーヒーカップは色だけじゃなくて形もかなり変遷してきたやつでして、取手なんかも最初はこういう↓つまむタイプのやつで進めてたんですけど、どうもねえ、このつまむ式はすげー持ちにくいということで、
何種類か作ったんですけど、やっぱり普通に使うカップの取っ手としては正しくないんじゃないかな ということでボツにして、指を入れる輪っか式に戻りました。
このタイプの取っ手を作るにあたって、量産できるように 石膏型(せっこうがた:粘土を型抜きするのには吸水力のえぐい石膏が使われます)から作る ということにも初めて挑戦しまして、上の取手の石膏型はこんな感じ↓ですね。
庚申窯ではそれまで石膏型を作ったりとかはやってなかったのですが、「石膏型 作り方」で調べて 作ってみたら意外にできるもんで、やらないから実際以上に難しく思い込んでいるだけで、やってみたら意外とできるじゃん ってやつでしたね。
もちろんこんな2枚型だから簡単なだけで、博多人形とかの、複雑な立体を抜くための、5枚とか10枚とかのパーツを組み合わせて作る型になったら、むちゃくちゃ難しくて大変だと思います。それと博多人形の人たちが作ってる石膏型はすごい綺麗ですね。
私の場合はとにかく中身さえ取り出せればいいので、石膏型自体の見てくれはしょぼくてガタガタです。上の↑写真だと、手前のが最初の方に作ったやつで、ばつ印のついている奥のやつは 去年くらいに作ったやつですので、一応少しは綺麗になっておりますけど。まあ新しい方の型が去年と言っている時点で、このコーヒーカップは少なくとも1年以上前から手掛けていたということが わかってしまいますな。
結局つまむ式の取っ手は、バリエーションの一つとしてだったらいいけど、使用感としては心地良くないから諦めて、ほんで次は 普通の輪っか式の取っ手を石膏型で作るというのを手掛けて、そのほうが一つ一つの精度が高いものが作れると思って輪っか式の取っ手の石膏型も何種類か作ったんですけど、
今年になって気づいたのは石膏型で取っ手を作るのは そんなに良くないということでして、ていうのもカップのボディ自体が全て同じにできてないので、取っ手自体の持ちごごちは同じでも、本体と組み合わせた時にちょっとバランスが悪くなったりすることがあって、
それだったら一つ一つ輪っかも手で作って、個体差がある方がボディと組み合わせやすいなってことで今では元に戻って一つ一つ粘土の紐を丸めて作ってますね。
そして石膏型でポンポンやる方が早いと思ってたけど、一本一本取っ手を紐づくりするのと そんなに労力は変わらなくて、そして私の癖なのですが、前作った石膏型をあんまり使う気にならないというね、もう困った癖がですね、あるわけでして、原型作りとか結構綺麗に作るんですけど、あんまり再利用されないので、石膏型を作ってる時間分無駄だということでした。
という遠回りをこんな感じでしつつ、このコーヒーカップは何度目かの制作になっているわけですけど、でもこの取っ手作りがきっかけで石膏型を作ることができるようになって、それは他の制作物に生かされています。
こんなに石膏型があるということは いつからこのコーヒーカップ作ってんだ という事ですけども、石膏型も最初の方はかなり石膏を無駄にしましたし、失敗も多くありました。
一番最近作った石膏型はポロンのやつですけど、このポロンの型を作るときも盛大に失敗しまして、バケツ何杯分かの液状の石膏が工房の床に広がりました。
まあそんな失敗も物作りにおけるタフさを鍛えられますし、作り直したら大体前よりいいのができますからね。失敗した際はユーモアで乗り切りましょう。私の場合はゴリラのダンスっていう崇高なる儀式で大体のことは乗り切れます。
アブの美しい瞳とシマウマの縞模様の話
7月27日 くもりのち雨
本日のBGM やまがたすみこ
庚申窯の工房の窓辺は虫達の死の墓場になっておりまして、というのも窓のすぐ外に電灯があって、走光性の虫達は夜になると この電灯目がけて飛んでいくわけですけど、
夜 工房の中に入り込んだ虫達は、その電灯の光に飛んでいくものの窓があるので、窓に何度もぶつかったり、窓より先に進むことができずに衰弱死したりするため、窓辺には虫の死骸がたくさん転がっています。
この虫虫デスターミナルに今日アブがいまして、どうも夜間に何度も窓にぶつかったせいで羽の片方が折れてうまく飛べないみたいで、アブの飛行能力はえぐいですし、刺されると嫌なので 普段は見かけた瞬間に履いてるサンダルを手にとって臨戦態勢に入るんですけど、
こんなに目が青くて綺麗なアブは初めてで、しかもほぼ無傷なのに動けないというのも珍しいので、この機会にじっくり観察していました。
こうみると昆虫の複眼ってヘルメットかぶってるみたいで、もう全然表情とかわからないし、意思疎通が全く不可能な雰囲気をビンビンに醸していますよね。これはみんな虫を嫌いになってもしょうがねえですよ。もともと別の惑星から来たとか言われても納得しそうです。
しかしこいつ複眼とはいえ頭のほとんどが目なわけで、アブの飛行能力は高いですから そのために目も大きく発達してるんでしょうね。他の昆虫たちも よく見たらこんなに目はでかくないですからね。アブちゃんデカ目です。いや、現在はデカ目崇拝の文化が広く浸透していますから アブ様と呼んで然るべきかもしれませんね。
飛行性能が高いだけあって体の作りもレーシングバイクみたいな無駄のない流線形で、「もう俺は前にしか進まないぜ!」というような強い意志が感じられます。身もがっしりしてて力強そうですが、でもアブって叩き潰したら案外肉肉しくなくて、なんかペシャっと潰れる印象があるので、見た目よりも軽い作りになってるのかもしれませんね。
アブに刺されると痛い、などとよく言いますが、正確にいうとあれは刺してるわけではなくて、ストローみたいな口吻をねじ込んで血を吸ってるわけなんですけど、ここ福智町の名前に由来になった福智山の麓には「白糸の滝」という全国の何十か所かの滝と名前のかぶっている滝がありまして、小中学生の時などは夏休みに友人たちと自転車で滝まで登って、滝壺に飛び込んだりして遊んでいたんですけど、
滝に来ると必ずアブがいて、水着ですからしょっちゅう背中とか肩とかにアブが止まってきて、たまに血を吸われたりするので 大変に厄介な虫だなあ と思っていたのですが、よく考えるとそういう経験は滝に行った時くらいしかなくて、庚申窯でもアブはほとんどいないくらいなんですけど、その理由は 水の綺麗なところでしかアブは生きられないから だそうです。
なるほどデカ目先輩はオーガニック先輩でもあったのですね。オーガニック崇拝の人もアブ様と呼んだ方がいいかもしれないですね。
アブ様は色が綺麗でデカ目でオーガニックでレーシング仕様でスピードスターですから 男女どちらからも支持される要素を持っているわけですけど、刺されると結構痛くて、自然な場所に行った際は なるべく刺されないようにしたいところですが、
シマウマの縞模様の研究の中で、あの縞模様が 実はアブを寄せ付けない効果があるということが判明したそうで、何やら光の反射の関係でアブ様のデカ目があの縞模様にはうまく着地することができないようになっているらしく、これを利用しない手はありませんぞ。
まず白黒のボーダーあるいはストライプの服を上下で着てもらって、露出している肌を白塗りにして、そのあとマジックで縞模様を描いておけばアブを遠ざけることができると思いますので、夏に自然の中で遊ぶ予定のある方はぜひ参考にされてください。その際のマジックにゼブラを選ぶ小洒落たセンスも欲しいところですね。
祖母とネットフリックスの話
7月28日 くもりときどき雨
本日のBGM Ozzie Kotani
連日雨が降ったりやんだりで はっきりしない天候が続いておりますが、お昼ご飯の時に祖母が「このテレビのデリケートなことには驚いた」と言い始めまして、なんやまた機械壊したんか、と思いましたがそうではなく、テレビとはネットフリックスのことだったみたいで、
お昼ご飯を食べている食堂には 貰いもののプレーステーション3がテレビに取り付けられていまして、このゲーム機でもって ネットフリックスやらユーチューブやらアマゾンのやつやらの 動画配信サービスの映画やドラマなどを見ることができるようになっておりまして、ま、そのアカウントの方も共有させてもらってたりするんですけど、
そのネットフリックスで、普段は福岡市内に住んでいる姉が帰省した際に「ネットフリックスの 愛の不時着 が面白いから見やがれ」と祖母に進言しまして、内容も面白そうだし 孫との共通の話題にもなるし ってんで祖母はネットフリックスでドラマを見始めたわけですけど、
最初は私や父がプレーステーションを操作して、ドラマの画面を出していたのですが、「それほど複雑な手順があるわけではございませんし、コントローラーの操作を誤って機械が火を吹く といった自爆ボタンみたいなものも存在しませんので、安心してご自分で操作されてください」と私から進言しましたところ、
最初の方はなかなか覚えられなかったようですが、愛の不時着の2周目を見終わった今ではすっかりコントローラーの操作にも慣れたもので、中国語を勉強していたこともあって中国ドラマがもともと好きで、ええもん手に入れたわいと 中国ドラマを色々と見ていたら、
「あなたはこれも好きかも」みたいにネットフリックスが提案してくるドラマの中に 自分でも忘れかけていたような昔見た中国ドラマが出てきたらしく、懐かしさからそのドラマを見て、「なんてこの機械は賢いんだ!」という感動の言葉が「最近のテレビはデリケート!」という言葉で表現されていたということなのです。ここでのデリケートは気が利いてる的な意味合いだそうです。
最初は「私には難しくてわからない」と拒絶していましたが、やらないから実際以上に難しく思い込んでいるだけで、やってみたら案外できる っていう例のやつでして、自分でコントローラーを操作して、その結果 昔の思い出を新しい仕組みの中に見つけることができたことは、懐かしさと同時に達成感もあって とても感動が大きかったようです。
私としても大変にこれは良いことだなあと思いまして、懐かしいという快感は絶対に大きいと思うんですよね。老いていく事は何も良いことがない みたいに言われますが、歳を取った分 思い出もたくさんあるわけで、祖母がこれまで見てきたドラマの合計時間は膨大な量でございまして、
昔見たドラマを見ることで、些細なシーンから「この時は確かこんなことがあった」とか思い出すことがあるでしょうし、今でも祖母は中国語に関心があるから昔は わからなかった言葉のニュアンスもわかるようになって、当時とはまた違った面白さを発見することができたりと、
同じドラマでも 見たことのない人にとっては「古いドラマだなー」という感想しか持てないものでも、見たことのある人は 当時の思い出とともに見ることができるので、思い出×ドラマで感動10倍界王拳と言いますか、過去に見たドラマや映画というのは、今ではその人の思い出資産なのだと思います。
祖母の場合は中国語を勉強したという過去も資産で、中国語への意欲があることで過去のドラマは思い出だけではなく、同時に現在進行形の勉強にもなるから、より楽しめるのだと思います。かつて時間をかけたものが、そんな風に思い出となって返ってくるのはいいですね。
そして過去を思い出す事というのは、生きてきた事を肯定することにつながるんじゃないでしょうか。それは歳を取った分だけ味わいが深くなると思います。祖母と動画配信サービスは大変に相性が良いと思いました。
星と多すぎる選択肢の話
7月29日 くもりときどき雨
本日のBGM Vince Guaraldi & Bola Sete
今日の夜は雨が降らなかったので、庭にシートを敷いてストレッチしてたんですけど、夜空を見上げながら、もし宇宙空間に巨大な、長さ30万キロくらいのハサミがあったら、重力がないんだからハサミがいかに重くても関係ないので、その巨大なハサミを閉じたら 先端の速度は光速を超えることができるのでは、と言う問題を思い出しまして、
現在発見されている物質はどれも少しは弾力があるから、巨大なハサミを閉じようとしても、その動きが瞬時に先端まで届かない、要するにスピードが上がるほどにハサミが しなってしまうから光速を超えることは無理で、でも もしめちゃくちゃ硬くて力を瞬時に伝達できるハサミがあったとしたら、
例えば野球選手が重力のないところでボールを全力で投げたとしても 普通に疲れるのと同じで、ものを加速させるのにはエネルギーが必要になるから、ハサミを閉じようとしても先端の速度が光速に近づくにつれて ハサミを閉じるために必要な力がどんどん大きくなっていくから やっぱりハサミでは無理なのよね〜 などと考えていたらちょうど流れ星が流れて、
夜寝そべって空を見上げてたら 意外と流れ星って見かけるもんで、10分に1回くらいは流れてるんですけど、さっき見たのは結構大物で かなり明るかったです。ちなみに流れ星は時速20万キロくらいだそうで、実際には粘土の粒みたいな大きさしかないんですけど、それがあれだけ光ると言う事は 速さがえぐいと言うことですね。
さてこちらは先日壊れたアイフォーンのカメラなんですけど、そのレンズ部分の写真を撮っているのは今日新しく届いたアイフォーンでして、こうなっても↑写真は撮れるもんで、まあかなり かすむんですけど、私の性格だとこの程度の壊れ方なら問題なしってって そのまま使いつづけちゃうんですけど、
くろつる屋管理人のめいから ブログの写真のクオリティーが低くなったから新しいのを買いやがれと ご意見を承りまして、もうこれ↑も何年も使ってるやつだし まあいいや ってことで、同じ形で中身新しいやつです って言うのを無金利ローンで買いました。あの無金利ローンってどうやって利益をあげてるのかしら。いやはや不思議。ちなみに私は経済学部卒です。
先日のアブの写真とかは母のアイフォーンを借りて撮っていました。下の写真が壊れたレンズで撮ったものですね。
寄りで撮るとレンズって大事なのねと気づかされますね。あと、レンズが壊れて以降の写真は 内側のカメラとかで撮ったりしてたんですけど、こういう制約が また新たな表現を生み出すのではないかしらん、と言う期待もあったのですが、新しいやつ見た目同じなのに 中身もカメラも随分優秀になってて、やっぱり買い換えてよかったですね。
しかし同じ過ちはもう繰り返さないぞ☆ と言うことで、今度は落としたくらいじゃなんともならないような丈夫なケースを探そうと思ったら、今やアイフォーンのケースを選ぶと言うのは大変な難作業だということに気がつかされました。
前回のケースは「こんなもんの原価たかが知れてるわい」 と、一番安いやつを買って、それでもほとんど問題なかったんですけど、今度はもう頑丈さを売りにしたゴッテゴテのやつにしたろうと思いまして、
そんで「頑丈なケース」で検索したらめちゃくちゃ種類でてきやがってですね、見た目で選ぶんだったらすぐに終わるけど、衝撃に強いとか防塵とかの機能で選ぶとなると いちいち説明を読まないといけなくて、
その説明もどれも同じようなこと言ってるし、価格も結構違うし、見た目 ほとんど同じケースだけどメーカーの名前が微妙に違うのね とか どっちが本家かもわからないし、
商品のキャッチコピーが 微妙に日本語ネイティブではない ちょっとおもしろい感じなどを見ていたら、もうどれがいいのか皆目見当もつかなくなり、このまま自分の感性で選ぼうとしたら情報洪水にのまれて狂気に陥ってしまう!
と精神の危機を感じたので、一番レビュー数が多くて、高評価な星が多くついているやつにしました。集合知バンザイ!
あと猫の目が開き始めました。
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目