7/30~8/5までの日記
2020.08.11
コウヅルユウタです。
この日記は庚申窯のオンラインショップ
「くろつる屋」のブログを
1週間分まとめたものです。
7/30 猫と自然の話
7/31 網戸と刹那的な生き方の話
8/2 庭の剪定と火の話
くろつる屋の方もよければ覗いてやってください。
こっち↓の方が確実に読みやすいですよ。
猫と自然の話
7月30日 晴れ
本日のBGM Clair de Lune
猫たちは日に日に大きくなってきて、昨日から少し目も開き始めてたんですけど、3匹の内の1匹、白い猫が今日死んでしまい、おそらくイタチの仕業だろうということですが、とても残念です。
せめてもの救いは それほど ひどくやられてなくて、ともすれば眠っているだけのような安らかな顔でしたが、見つけた時にはすでに呼吸も心臓も止まっていたので、庭の木の根本に埋めました。
今まで子猫たちは半分屋内の物置にいて、夜の間は扉を閉めるし、大丈夫だと思っていましたが、夕方のちょうど誰もいなくなるタイミングが狙われたようですね。
不幸中の幸いで他の2匹は無事だったので、その物置はちょっと危ないということで、今度は動物が入れないような一部屋だけの建物の中に子猫2匹を移して、親猫もそれについて建物の中に入り、親猫はさっそく子猫2匹を新たな場所に隠していましたが、
少しすると外に出たそうにしてて、外に出したら 餌をねだる時とは少し違う 優しい声で鳴きながら、ゆっくりと元の物置まで戻って行っていました。
もう1匹を見つけようとするその姿が不憫で、元の場所を色々と探す親猫に私はしばらく付き合って横で眺めていましたが、残った2匹をあまり放ってもおけないので 一旦子猫たちのもとに連れて行って、また後で気が済むまで探してもらおうと思いました。
自然のこととはいえ、悲しい気持ちになるし ショックも大きいのですが、それでも残ったものもあるのだから、あとの2匹が無事に育つよう願っています。
今日の午前中の映像です。
網戸と刹那的な生き方の話
7月31日 晴れ
本日のBGM Tamba 4
今 庚申窯にいる子猫たちは いずれ貰われていく予定なので、それまでの間、成長する様子を撮っておいたら面白いかもしれないと思って、1日に1分間だけ動画を撮っていたんですけど、昨日猫たちの住処が変わって、今度の寝床は奥まったところでして、
撮影しようと思ったら子猫が眠っているところを拾い上げないといけないので、それはちょっと撮影意図とズレるというか、親猫のストレスにもなると思うので、自然に這い出てきたら また撮ってみようと思いました。あんなもんが自分で動き回りだしたら可愛いでしょうね。それだけに昨日の出来事は残念ですが。
猫たちの移転先の建物の網戸がホロボロでして、断熱性ゼロみたいな建物なので窓を開けないと ものすごく熱気がこもる ということで、今日はその網戸の張り替えをしました。
これはなんというか廃屋の破れ方ですな。人家でこれだと住んでる人の民度が知れますね。下側は何年か前に私が張り替えたのでまだ綺麗ですが、その時 まだいけるね、と思って張り替えなかった上側の網戸が数年でここまでなるとは感慨深いですね。いやそうでもないか。
その時多めに買っておいた網戸がまだ残っていて、サイズもギリギリいけるしってことで張り替えて、やっぱり網戸は黒いやつが視認性高くていいですね。
外から覗かれたくない人用に内側が黒くて外側シルバーという網戸も売っていましたね。確かちょっと高かったと思いますが 都会だとその方がいいでしょうね。
ほいで網戸を貼るのに欠かせないこの道具↓、今まで気にも留めていませんでしたがメガローラーという名前なのね。
確かにこれがないと網戸の張り替えは難航しますが、にしてもちょっと名前盛りすぎじゃない?メガローラーって。どの辺がメガなのかしら。でもグリップしやすいよう お尻の方が微妙に膨らんでたり、
このローラーの首の曲がり具合も力を入れやすい角度で、こんな感じの必要性によって特化した形というのはとても好きですね。「網戸以外にゃ興味ござんせん」という強情な意思が感じられます。
このプラスチックのローラーの部分も 円のフチが欠けまくっているので、なんかその欠けたところが網戸に引っかかってちっちゃく破れて、その破れが時間差でひどくなってって結果として網戸の寿命が短くなるかも、と思いますが、まあでも他のものでは代用できないし、買いに行くのも嫌なのでこれで張り替えました。円がガタガタだからすごくやりにくかったですね。
張り替えて四方に余った網をカッターで切り落としたんですけど、このカッターが普段工房で使ってるやつで、切れなくなっても刃を折ったら その度新品の切れ心地という商品ですけど、折って使おうにも全部の刃が欠けててガタガタで、錆もサビサビだったので すごく切りにくかったです。
この後もう一枚の網戸を張り替えましたが、その時のカッターは普通のを持ってきて使ったらめちゃくちゃ綺麗に切れましたね。やはり道具は大事ですな。
網を張り替えたので、出来上がった網戸をはめようとしたら、古い建物だからか、もしくは十数年前に道路の拡張工事があった際に、この建物の周りの地面をコンクリートで埋める工事をしたことによるものなのか、どうも窓枠が歪んでいまして、たぶん平行四辺形っぽくなってると思うんですけど、
そのせいで網戸がちゃんと引っかからなくてパタンと倒れそうなので、しょうがないから白いテープをベタベタはって網戸を取り付けました。よってこの網戸はテープの粘着力でなんとか張り付いています。急場凌ぎですね。
まあ急場と言いつつもこれ以上手を加えたり やり直したりする気はないのでこのままいくんですけど、そうすると そのうちこの網戸を外そうとしたときに、
「うわ テープで留めてたからサッシがベタベタやないか。なんで後のこと考えて仕事をせんかなあもう!」と、雑な措置をしたことにイラッとする日がくると思いますが、それは未来のことですので、あまり未来のことを見つめすぎると、現時点でやることが必要作業みたいになってしまいますので、私は刹那的な生き方を礼讃して、テープをベタベタと貼りました。
風通しが良くなったので↓
レストランのお皿と思い出の話〜サラ〜1
8月1日 晴れ
本日のBGM Scott LaFaro · Stan Levey · Frank Rosolino
「サラ」というお皿を今ちょっとだけ作っていまして、こういうお皿なんですけど、
このお皿も結構作るのが大変でして、どの辺が大変なのか、というのを今作ってるので写真をとって制作工程などを書いておこうと思いまして、ついでに このお皿ができた経緯も紹介させていただければ ということなのです。
まず経緯の方からいきますと、福岡県の筑豊一帯を走る「平成筑豊鉄道」通称 へいちく というローカル路線がありまして、そのへいちくの路線を、ゆっくり走りながら おいしい食事を楽しむ というコンセプトの観光列車が 一昨年くらいから作られ始めまして、
レストラン列車で提供される器に 地元の伝統工芸品のあがの焼を、ってんで庚申窯を選んでいただいて、お皿をオーダーしてもらったのがきっかけになります。
こちら↑がその時もらった資料で、当時まだ列車が出来上がってなくて、完成まで絶対に公開するなと釘を刺されていたんですけど、列車運行して1年以上経つし、この間乗客数が5,000人を突破したそうですので もういいよねってことで。
しかし改めて見たら列車のイラストがすごい綺麗ですな。もちろんこれはコピーなんですけど、このイラストをポストカードにして売ったら乗車記念で買って帰る人多いんじゃないかしら。
すごい均整取れてるからコンピューターで書いてると思うんですけど、なんか微妙に手書きの線もあって、手書きならではの線の揺らぎみたいなのと、どこを省略してるかっていうのが こういうリアルなイラストの魅力ですよね。
どのようなお皿にするかは、この列車で出される料理の監修をしたシェフの方と何度か打ち合わせをして、メインのお皿には 列車の赤さをイメージしたお皿が欲しいということと、
テーブルのスペースが限られているので直径は25cm以内、列車が揺れても動かないような安定感、フラットに近い形、料理が冷えないようにお皿をウォーマーで温めるから、温かさが持続する肉厚な作り、今後 料理の内容を変えたときのために、ひっくり返したら別のお皿として使えるリバーシブルなもの、
という風に詰めていってこのお皿の形になりました。
最初からこの形に決まったというよりは、何パターンか作った中の一つで、私は好きだけど たぶん選ばれないやつ、だけどバリエーションいろいろ考えましたよ、という目配せ担当の変化球枠として作ったやつだったんですけど これが選ばれまして、
このお皿は完全に量産には向かないということが作り始めてから分かったんですけど、その時は「はいはーい」なんて気軽に受けてしまいまして、他に用意したお皿はもっと作りやすいやつだったので、それ用の値段のままで受けたんですけど、値上げさせてもらったらよかったですね。
て言うのも、このお皿は作るのも大変なんですけど、焼き上げでめちゃくちゃ割れまして、ここ↑に写ってるのは割れた中の一部なんですけど、作っては割れるので しょうがないから また作る、という 賽の河原の石積みみたいな反復作業をやることになり、それは精神鍛錬に大変効果があったのではないかと思います。
でもこれを書いてて「そういえばそうだったな」と思い出しているくらいなので、喉元過ぎれば熱さを忘れる というやつかも知れないですね。まあそれもいいんじゃないかしら。
このお皿の取り掛かりについては大体こんな感じなので、次は具体的な作り方について紹介させていただければと思います。
庭の剪定と火の話
8月2日 晴れ
本日のBGM Wes Montgomery – Polka Dots & Moonbeams
今日起きたらやけに煙たくて、近所のどっかが草でも焼いておるなと思ったら煙の発生源はうちでして、父が梅雨前から庭の木をボリボリ切って、積んでいた枝葉を今日焼いていたようです。
私が見かけた頃にはもうあらかた焼き終わっていたみたいで、この枯れ葉のあるところに枝が山になって積まれていたんですけど、それがほとんどなくなっているから 明け方から焼いていたのだと思います。
その午前中に焼いていた灰が、さっき見たらまだ赤く光って熱を持っていて、やはりこうなるとなかなか火は消えないのね と思いながら月の光も良い感じだったので 灰の前に座って しばらく灰の中の火を眺めてから、一応ホースシャワーで水をかけておきました。
庚申窯はINAKA☆にあるので、庭の木の量も半端じゃなくて、祖父が生きていた頃は祖父が管理していたからよかったんですけど、というか木は全部 祖父が植えたやつだからそもそも増やしたのが祖父だったんですけど、
祖父は毎日2〜3時間くらい庭の手入れをしていて、それでなんとか均衡が取れていた訳で、祖父という抑止力のなくなった草木たちは猛烈な勢いで増殖していて、草木を食い止めるために 今では父が庭の木を選定してくれています。
祖父が死んですぐの頃は私が庭の木を切っていたんですけど、庭づくりというのははっきり言って私の大好きな分野ですから、やり始めると庭づくりに集中してしまって、たぶんそのうち公園とかにある 柱と屋根だけの6角形の東屋みたいなのを作りかねないほどでしたので庭の木を切るのをやめて、
あとその頃から焼き物作りも色々と制作が遅れ始めたので、焼き物作りの方に注力して、となると庚申窯に残る剪定労力は父だけですから 現在では父が庭の木の担当となった次第です。
庭の剪定は父の方が向いていまして、とにかく容赦なく切っていくから かなり時間効率がいいんですよね。私が剪定すると
「ここにベンチを置いて、立っていた時と座っていた時で視線が変わるから その時に見える景色を変えるには このくらいの高さでツツジを切って、その奥の椿の木はこの場所での主役になるからちょっと背を低くこんもりさせて、その椿の前が人の通り道になるけど あまり見通しを良くしちゃうと奥行きが失われるから道を少しカーブさせて、、」
などとめんどくさいことを考え始めるので全然作業は進まなくて、しかもそれが楽しいから時間がいくらかかっても問題ないということで、私は将来退屈しねえだろうなと思って、だから焼き物作りが落ち着いたら庭作りに取り掛かりたいと思っているので今は庭のことを放置しております。
庚申窯のある福智町は剪定した枝葉を自分たちで燃やすことができるんですけど、他の町ではそれができないところが多いそうで、例えば福岡市は野焼きや火災と間違えるような焼却行為が条例で禁じられているんですけど、
福岡市にある高取焼の窯元も、薪で窯を焚く事も禁止事項に含まれるから薪窯を焚けないそうで、薪窯が使えないから電気窯での焼き方を工夫して、まるで薪窯で焼いたような色合いを出しているから、それはすごいなあと思っていまして、
むしろそのような制約があることで、今までのやり方では作られなかった高取焼の技法も発明される訳で、一概に薪窯を焚くことができないのは陶芸家としてマイナスだとは言えないということですね。
でもこんな風に 切った木を燃やすことができないのはすごく不便ですよね。業者に頼んだら高くつくし、その辺は田舎の方がいいなあと思います。
便利っていう事もあるけど、何かを燃やす行為って人間は好きなんじゃないかしら。人類が火をコントロールして使い始めた時期は正確にはわかっていないそうですが、少なくとも数万年前とかなので、もしかしたら体系化した言語よりも火を扱ってきた歴史は古くて、言葉よりも本能的な行為なのかも知れませんね。
だから薪窯を焚く時って火を燃やすこと自体の快感もいくらかあるんじゃないかしら。最近焼けてないから、今年あたりは薪窯焚きたいですね。
8月3日 晴れ
本日のBGM The Rance Allen Group / Reason to Survive
このお皿、名前が「サラ」というんですけど、サラという名前の由来は、リバーシブルな作りなので裏表使うことができて、それぞれで違う色にしてるから、レコードみたいにA面B面ってことで、レコードのこと「皿」って言いますし、それからとって「サラ」という名前になったんですけど、
でも他に作っているものも もれなく皿な訳で、これだけがサラっていう名前だと まるでこれが私の作るお皿の代表でござい っていう感じがして、あと言葉に出して言うと「このお皿に名前はあるんですか?」「サラです」「いや皿だってことはわかってるんだけど」ってちょっとややこしいことになるんですよね。
あ、でもこれ一見お皿っぽくないから、お皿っぽくない器に「これはお皿なんですよ」という意思表示をさせるために、あえて名前を「サラ」というストレートな名前にしてるんです。って言ってたら納得感上がりそうですよね。その後にレコードのくだりを付け加えればいいですし。それでええやんそうしましょ。今後はこの説明でいきたいと思います。
レコードつながりで言うと、このお皿、分厚くて重くて扱うのに不便なんですけど、この物体感というか、扱い方を含めたアナログ感というか、そういう面でも通じるところがあるかなあと思っているんですけど、
この分厚い形というのが作る際に大変厄介でございまして、まずこのお皿を作るにあたって必要なのが、粘土とナイフと適当な型紙と新聞紙になります。形がシンプルな分 道具もあまり使わないですね。
この型紙は とりあえず円を使っていますけど、バリエーションとしては楕円とかもいいかも知れないですね。私は型紙にプラスチックのシートみたいなのを切って使っています。ホームセンターで畳みたいなサイズで売ってある、割と厚めで丈夫なやつですね。
前はダンボールとかでこの型を作っていましたが、型に沿ってナイフを滑らすと、段ボールではだんだん形が歪むし、水分にも弱いのでこのシートを使うようになりました。
ちなみに書かれてる数字は263mmってことですね、直径が。Aとかは土の種類で、土ごとにどれだけ焼き上がりが縮むかを書くんですけど、これにはまだ書いてないですけど、まあ普通に焼いて24センチくらいですかね、焼き上がりが。粘土の厚みによっても変わるんですけど。
サラを作るには まず粘土を揉んで空気を抜きます。さっきの粘土↑ を揉んだ後がこれですね↓
焼き物というのは粘土の中に空気が入ったまま焼くと、焼いている最中に閉じ込められた空気が膨張して、餅を焼いた時みたいに そこだけ膨らんだり、ひどい時は破裂したりするので、まず最初に粘土を揉んで空気を抜くのですが、
このサラは出来上がりが分厚い形なので、その分空気が紛れ込んでしまう確率がすごく高くなります。て言うのも、この粘土の量で作れるサラは一枚だけなんですけど、普通のお皿をろくろで作るなら同じ直径でも4〜5枚は作れるので、単純に4〜5倍くらいの量の空気が入り込んでいますよね。
空気が入っていても、普通のお皿をろくろで作った場合、指の感覚で空気が紛れ込んでいるかどうかが わかりますから、空気のある箇所に針を刺して 空気を抜いたり、あるいは作らずにグニャんと潰して、粘土に戻したりするのですが、
このサラの作り方では、粘土の中に空気が入っているかどうかを途中で知ることはまず不可能なので、一番最初の粘土を揉む作業、陶芸ではこれを菊練りと言いますが、菊練りをかなり丁寧にしなければなりません。
上↑の粘土の量できる サラが1枚ですから、サラを一枚作るのに毎回菊練りをがっつりやらなければいけないので体力的に結構大変ですね。菊練り結構疲れますからね。
真空土練機という空気の入らない粘土もみもみマシーンがあれば、手で揉む工程はかなり省略できるのですが、生憎庚申窯には真空土練機がないので、空気は手で抜け ってことで毎回菊練りしています。
粘土を揉んだところで結構な文量になったので後の作業は次に続きます。
匂いの曖昧さと近くはよく見えない現象の話
8月4日 晴れ
本日のBGM James Brown & The Famous Flames – Prisoner Of Love
最近ストレッチだけでは肩や背中のガチガチを取り除けなくなってきているので、不本意ながら夜は一度運動してからストレッチをしているんですけど、この季節の夜は虫除けスプレーさえしっかり ふりかけておけば 運動するのには最適でございまして、今日なんか月も明るかったので尚よかったんですけど、
私の汗腺は非常に活発なたちで、少しの運動でも非常事態だと言わんばかりにドバドバ流れ出てきて、でももうあとはすぐシャワー浴びるし 全然オッケー ってってさっきシャワーを浴びて、さっぱりしたので ここはひとつテーシャーツの方を嗅いだろうと思いまして、やっぱりどんなもんかはチェックしとかないとね、
ってんで自分のだし遠慮なしにフガフガ嗅いでみたら、匂いはするっちゃするけど全然強烈じゃあないのね、でもなんかこれは なんかの匂い、なんだっけ、ああワインの匂いだ、え?そんなことあるかいな、と もう一回トライしてみたら確かにワインの匂いでして、おお、汗ってのは時間が経つから臭くなると言うのは聞いたことがあるけど、発酵前のフレッシュスウェットはワインの匂いなのね!
などと思っていたら そういえば昔ソムリエの人がワインの香りを例えるのに「朝露の滴る柔らかな草原を駆ける少年の汗の香り、、」などと言っていたなあと思い出して、でももしかしたら私の記憶違いかもしれませんし、本当にそんな例えがあるのか検索してみましょ、
と検索してみても流石に「ワイン 少年の汗」ではそのような記述は見当たらなかったんですけど、
ワインの香りを例える言葉というのはある程度決まっているものもあるそうで、その香りのカテゴリーの中には動物というのがあって、それはいい匂いとしての指標なのかどうかわかりませんが、詰まるところ私の汗は動物くせえということですね。いやはや不快な話題で引っ張って申し訳ありません。でもチーズの匂いじゃなくてよかった。
ちなみにワインは好きですが、普段は全然飲みません。
こちら↑は庚申窯になっているプルーンなんですけど、今年はよくなる年で、果物の木はそれぞれ1年おきとか2年おきとかに良くなる年とあまりできない年があるんですけど、今年のプルーンはよくできる方みたいで、
でも多くできるからと言って美味しいかどうかはまたちょっと違って、多くできる分栄養は分散されますから、たぶん一番いいのは多くできる年に半分くらい間引いておいたら、かなり美味しくなっていたと思うんですけど、
どうも人間というのは既に持っているものに対してありがたみを感じにくいようでして、家にプルーンがなっているんだから これをうまく活用すればいいのに、特に何するでもなく ほったらかしで、
そんでお隣さんから貰ったゴーヤはうめえっつって喜んで食べてるけど、そのお隣の家の人はゴーヤあんま食べないという、いや〜何かこれに近いようなのあったなあ、あ、そうだあれだ、福智町の人って あがの焼を買ってくれないわよね、と思いまして、
福智町在住で買ってくれる人も勿論いますが、でもその人達って、一度福智町から出て、よその場所で働いたり暮らしたりして、その後 舞い戻ってきた人達で、その人達はたぶん一度 別の暮らしを経験したことで 物事の判断軸が増えていると言いますか、
こちらでは当たり前のことでも あちらではすごく貴重 っていうのは、みんな知識としては知っているけど、別の場所で暮らしてみて初めて実感するんだと思います。あまり近くにあるものって評価対象にならないんでしょうね。
都会から来た人は 夜空が綺麗なのになんでみんな見ないんだ?!と不思議がりますが、きっとそういうことでしょうね。かくいう私もプルーンに無関心ですから、徐々に定住したことによる鈍感さを身につけ始めているみたいです。まあプルーン別に好きじゃないしなあ。別の木になるスモモの方は美味しいんですけど。
レストランのお皿と思い出の話〜サラ〜3
8月5日 晴れ
本日のBGM Lee Konitz - Star Eyes
これ↑は「サラ」の色違い、緑青のバージョンで、今回作ってるのはこの色になります。
前回↑は粘土を揉んだところまででしたけど、揉んだ粘土は ローラーにかける前に横長につぶしまして、幅が型紙より少しだけ大きくなるよう、作業台に叩きつけて伸ばします。叩きつけるのは粘土を締める効果もあります。
こちら↓が粘土を伸ばすためのローラーなんですけど、庚申窯のローラーは手動で、世の中には電動のやつもありますが、まあ手動で十分ですね。電動使ったことないんですけど。
でもこういうローラータイプのやつとは別に、プレス機みたいなので伸ばすやり方もあって、それはとても便利そうです。
ローラーだと どうしても粘土に「クセ」がつくので、例えばローラーをかけた粘土で まん丸のお皿を作っても、ローラーをかけたことによって 粘土に縮みやすい方向ができてしまい、焼き上がりが楕円になるんですよね。それがプレス式だと均等に広がりそうなので、まん丸を作りやすいかと。
ローラーで伸ばすとこんな感じですね。これに型紙を当てて、型紙より少しゆとりを持って周りを切り取ります。
先ほど申しましたローラーによる粘土の「クセ」、これを軽くするために この大まかに切った粘土の向きを90度 変えて、もう一度ローラーをかけます。
向きを変えたことが分かり易いかと思って矢印書きました↑↓
ローラーで1回伸ばしただけで型紙通りに切ると、一方向に強く縮みやすくなるので、粘土を伸ばす工程を2回に分けて、2回目の粘土の向きを90度 変えることによって、 楕円に歪むのを軽くしようって魂胆ですね。それでも少しは楕円になります。
そんで2度目のローラーをかけて、
2回目のカットで 粘土を型紙通りに切ります。
この時に切り落とした あまり粘土たちは まだまだ使えるので、業務用の厚手のビニール袋に溜めておいて、あとでまとめて土練機にかけて、もう一度使えるようにします。
ただ最初の菊煉の段階でけっこう水分は失われていますし、ローラーで伸ばす際にも水分は飛ぶので、あまり粘土を土練機にかける際には、ちょっと水分多めの粘土と一緒に混ぜ合わせると ちょうどいいと思います。水分のないボソボソ粘土は作りにくいですからね。
これ↑がローラーの布でして、真ん中の丸いのが粘土の水分が移ったところです。
ほんでこの水分、粘土から水分をいかに抜くかが、このお皿作りにおいてとても大事でございまして、そのために使うのが新聞紙になります。
とにかく新聞紙に水を吸わせまくる必要があるので、この最初の段階ではお皿1枚に新聞紙を3枚重ねて折りたたんだやつを敷いて水分を抜きます。
この新聞紙がいかに使えるやつかについては次に続きます。
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目