バカっぽい人とその差の話
2020.10.21
本日のBGM Fritz Kreisler - ユモレスク
朝ごはんを食べているときに 母が録画したテレビ番組を見てまして、「どういう人がバカっぽいと思いますか?」という質問を街行く人に答えてもらって、集まったバカっぽい行動の統計に対して共感したりコメントしたりするという番組で、
街行く人が答えたバカっぽい人の一部をあげると SNSでさりげなく男の存在を匂わせる人、自分のことを名前で呼ぶ人、仕事ができないのに優秀であるアピールをする人、何かにつけて雑学を披露する人、いつもダメ男に引っかかる人、食い方が汚い人、なんでもマヨネーズ、なんでも激辛、イエスマン、タピオカ などなど
バカっぽいと思うタイプの人や行動は誰でも数々思うところはあって、基本的には他人に対してバカっぽいと思うわけですが、明確に馬鹿とは言わず、「っぽい」がつくぶんやや軽減された言葉になっているわけで、
何と言いますか「馬鹿」だというと ある程度の基準がありそうというか、世間的にこういう行動をとるのは愚か者である、みたいに そのコミュニティーの常識をバックに背負った上で「あれは馬鹿者である」みたいな断定した言い方ができるわけで、
そうすると「バカっぽい」てことなら自分の基準で言っていい気がするというか、インタビュアーの人も「あなたがバカっぽいと思う人はどんな人ですか?」って聞いてるわけですから 自分にとっての馬鹿者を心置きなく述べることができるわけで、
そうすると様々なバカっぽい人を、街行く人が答えていくのを見てて思ったのは、この人たちの「バカっぽい」っていうのは 自分が嫌いなタイプの人間のことを言ってるんじゃないかなあと思いまして、
確かにそれは愚かな感じがする、という事例はもちろんある一方で、それはあなたの好き嫌いの問題なのでは?というものも多くあって、要するに「バカっぽい」というのは現代における軽蔑の一番優しい表現と言いますか、
自分と価値観の合わない人を柔らかく攻撃するためのフレーズのようでして、この「っぽい」のオブラートが ずいぶん多くのものを受け止めてくれているのね、パ行は偉大なのねと思いました。
なんていう風にスカした感じの俯瞰目線で 私は何でもわかってますよ 的なこの文章ならびに私を指して、こういうタイプを嫌いな人からはバカっぽいと柔らかく攻撃されるわけで、
という風に先に自分で言うことで保険を張って「それすらもわかってますよ」的に振る舞うことで上記の層からの攻撃を弱体化させようとする このこざかしさをまた嫌う人がいて やはりまたバカっぽいわけで、
バカっぽく思われないように こんな雨の朝はバイオリンの曲などを聞いてしっとり心穏やかに過ごしています と言うアピールはそもそもバカっぽい感じがするし、
それに巻き込んでしまったフリッツ クライスラーとドヴォルザークに申し訳ないですし、
フリッツ クライスラーとドヴォルザークというクラシックな名称を出すことで教養がある感を出すのは「何かにつけて雑学を披露する人」ってことですでにバカっぽいと思われてるしで、
バカっぽいと思われないためには全ての人の価値観に認められなければいけないということで、それは不可能だということがわかったので、バカっぽいという栄誉を胸にひっさげて私は生きていこうと思いました☆
文章の最後に☆がつくとバカっぽいと思ってる☆
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目
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